ザムザマ(北インドの恐怖)—1762年ラホール製大砲の歴史と『キム』での登場
ザムザマ(北インドの恐怖)—1762年ラホール製大砲の製造秘話、戦歴と伝説、そしてキプリング『キム』での登場を詳しく解説。
ザムザマ(Zam Zama)またはザムザマ(Zam-zammah)は、「北インドの恐怖」とも呼ばれる古い大砲です。真鍮製で、1762年にアフガニスタン国王の命令でラホール(現在のパキスタン)で作られました。製造は当時の軍事的必要性と権威の誇示の一環であり、鋳造当時としては非常に大きく、強力な火力を持つ大砲として知られていました。歴史的にこの大砲は、遠征や戦闘で重要な象徴的役割を果たしました。
歴史的経緯
この大砲はその後の軍事作戦で損傷を受け、一時はチェナブ川の底に沈んでしまいましたが、その後回収されました。回収後はマハラジャ・ランジット・シンの勝利したシーク・カルサ軍によって捕獲され、シーク教勢力の象徴的な戦利品となりました。やがてこの大砲に関して「ザム・ザマを持っている者はパンジャブを持っている」という迷信めいた言い伝えが生まれ、地域の権力の象徴として扱われました。
その後、大砲はデリーに運ばれた時期もありましたが、1870年に再びラホールに持ち帰られ、旧ラホール博物館の外に設置されました。1890年代には現在の博物館の建物の外、パンジャブ大学の旧キャンパス向かいの場所へ移され、以降は都市のランドマークの一つとなっています。保存と修復も重ねられ、1990年代に改めてクリーニングや整備が行われました。
文化的・文学的意義
イギリスのインドの時代、ザムザマは単なる古物以上の特別な名声を獲得しました。作家ラドヤード-キプリングはが1901年に出版されたキム(本)の冒頭でこの大砲に言及したことにより、欧米の読者にも知られるようになり、「Kim's Gun(キムの大砲)」の名でも親しまれるようになりました。以降、ザムザマはラホールの歴史と文化を象徴する存在として、写真や観光の対象、地域記憶の一部となっています。
現在の状況と保存
今日、ザムザマはラホール博物館の外に展示され、多くの来訪者がその大きさと歴史に触れることができます。青銅(真鍮)製の大砲は経年で風化や腐食の影響を受けるため、保存管理が重要です。これまでに行われた修復や清掃により外観は保たれていますが、歴史遺産としての適切な保護と解説の充実が今後も求められます。
ザムザマは単なる武器にとどまらず、地域の政権移動、植民地期の記憶、そして文学を通じた国際的な知名度を持つ文化財です。ラホールを訪れる際は、博物館前に鎮座するこの大砲を通じて、南アジアの近世から近代にかけての複雑な歴史を感じ取ることができます。

ザム座間の上の金さん、1901年の小説の挿絵
質問と回答
Q: ザムザマとは何ですか?
A: ザム・ザマは真鍮製の古い大砲で、1762年にアフガン王アフマド・シャー・ドゥラーニーの命によりラホールで作られました。
Q:なぜザム・ザマは「北インドの恐怖」と呼ばれているのですか?
A: ザム・ザマがよく「北インドの恐怖」と呼ばれるのは、ザム・ザマがとてつもない火力を持っており、アフガン軍に対抗するすべての軍隊がこの地域でザム・ザマを恐れていたからです。
Q:勝利したマハラジャ・ランジット・シンのシーク・ハルサ軍によって、ザム・ザマはどのように攻略されたのですか?
A: ザム・ザマは後に軍事作戦で損傷し、チェナブ川の底に沈みました。そこからマハラジャ・ランジット・シンの勝利したシーク教徒のカルサ軍が回収し、捕獲しました。
Q:パンジャーブ地方がシークの支配下に入った後、どのような迷信が生まれましたか?
A: パンジャーブ地方がシークの支配下に入った後、「ザム・ザマを持つ者はパンジャーブを持つ」という迷信が生まれました。
Q:ザム・ザマは外のどこに設置されていたのですか?
A: ザム・ザマは旧ラホール博物館の外に設置され、その後1890年代に現在の博物館の建物の外に移されました。
Q: ザム・ザマが修復され、きれいになったのはいつですか?
A:ザム・ザマは1990年代に修復され、きれいになりました。
Q:1901年に出版された著書の中で、誰がザム・ザマについて触れていますか?
A: 作家のラドヤード・キップリングが、イギリス領インド時代の著書『キム』(1901年出版)の冒頭でザムザマについて触れています。
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