1017年(MXVII)―出来事、政治動向と歴史的意義
西暦1017年の暦上の位置、ヨーロッパとアジアにおける主要な政治的展開、注目すべき出来事、および歴史的意義を概説する。
概要
1017年(MXVII)は、ユリウス暦で火曜日に始まる平年であった。年間の日付配列については、1017年の年間暦を参照できる。この年は中世初期に当たり、ヨーロッパとアジアの複数の国家で王朝支配の強化、地域的な戦争、行政の集権化の進展がみられた時代である。1017年はユリウス暦の枠組みで記録されている。
画像ギャラリー
1 画像政治的展開と紛争
北ヨーロッパと西ヨーロッパにおいて、1017年と結び付けられる最も注目すべき人物は、イングランドおよびスカンディナヴィアの一部を支配したクヌート(カヌート)である。前年にイングランドを征服した後、クヌートは1017年を通じて権力の固め、同盟の確保、統治機構の再編に努めた。同時代の史料と後世の年代記は、この時期に彼がエゼルレッド2世(無思慮王)の未亡人であるノルマンディー公女エマと結婚したと伝える。この婚姻はノルマンディーとの結び付きを強め、アングロ・ノルマン系の人々の間で彼の支配を正統化することにもつながった。
イングランドでは、クヌートは支配を確立する過程で、対立者や不忠実な有力者に対して断固とした措置を取った。彼に敵対した、あるいは陣営を変えた複数のセインやエアルドルマンは権力の座から排除された。こうした措置は、中世ヨーロッパ全体で見られた、勝利した統治者が婚姻、任官、懲罰を組み合わせて新たに獲得した王国を安定させようとする、より広範な傾向の一部であった。
その他の地域
大陸ヨーロッパとビザンツ世界では、11世紀初頭にも軍事行動と国境をめぐる緊張が続いた。ビザンツ皇帝バシレイオス2世は第一次ブルガリア帝国に対する長期戦役を終結させつつあり、その過程は1018年に決定的な局面へ至ることになる。一方、東アジアでは、中国の宋王朝と平安時代の日本の貴族的宮廷が、この時代を特徴付ける行政・文化・文学の伝統を発展させ続けていた。
主な出来事と注記
- ノルマンディー公女エマとの結婚(伝統的に1017年とされる)を含む、クヌートによるイングランドでの権力基盤の強化。
- 王権の再編と安定化の一環として行われた、有力な反対者の排除と処刑。
- 最終的な征服へ向けて進展した、ブルガリアに対するビザンツ帝国の軍事活動。この征服は1018年に完了した。
- 宋代中国と平安時代日本における、文化および官僚制の継続的な発展。
意義と遺産
1017年の出来事は、その後数十年に影響を及ぼす政治的状況の形成に関与した。クヌートの統治はイングランドとスカンディナヴィアを結ぶ北海の領域を確立し、アングロ・ノルマン関係にも影響した。ビザンツ帝国のブルガリアに対する勝利はバルカン半島の勢力均衡を変え、中国と日本における行政的継続性は当時の文化的成果を支えた。1017年は、単一の決定的な災害や発見によって特徴付けられる年ではないが、その決定が長期的な帰結をもたらした統治者と国家における、統合と移行の年として注目される。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 1017年(MXVII)―出来事、政治動向と歴史的意義 Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/110922