1256年の年表:ヨーロッパ・アジアの出来事と主要な誕生・死亡
1256年の年表:ヨーロッパ・アジアの出来事と主要な誕生・死亡を年代順に分かりやすく紹介。史料と背景で当時を読み解く必携ガイド。
コンテンツ
· 1イベント
o 1.1ヨーロッパ
o 1.2アジア
· 2誕生
· 3死亡数
1 イベント
1.1 ヨーロッパ- 王権と貴族・都市の関係:1256年は各地で王権と地方貴族、自治都市との力関係が続いていた時期です。たとえば、イングランドではヘンリー3世(在位:1216–1272)の統治下で王権強化と貴族の対立が続き、フランスではルイ9世(聖ルイ、在位:1226–1270)の治世により王権の中央集権化や宗教政策が進められていました。
- イタリアの都市国家と海上交易:ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの海洋共和国は地中海交易で成長を続け、商業ネットワークと金融活動が拡大していました。これに伴い都市自治・商人階級の影響力が高まっています。
- 神聖ローマ帝国の状況:神聖ローマ帝国は12–13世紀の断続的な内紛と皇位不安定の影響が続き、地域的な諸侯の勢力が相対的に強い状況でした。帝国内部の政治的不安定さが地域政治に影響を与えていました。
- 文化・学問の動向:ヨーロッパで大学(パリ大学、オックスフォードなど)が発展し、スコラ学や法学、神学の研究が盛んになっています。ゴシック建築や修道院文化の影響も地域文化を形作っていました。
- モンゴル帝国の西方進出とアルアムト陥落(1256年):中央アジアおよび中東において最も重要な出来事の一つは、フレグ(フレグ・ハン、通常はフラグ=フーラグとも表記される)が率いるモンゴル軍がニザール派イスマーイール派(通称「暗殺者」)の拠点であったアルアムト城を陥落させたことです(1256年)。この陥落は、イラン高原でのニザール派政権の壊滅と、モンゴルのペルシア支配の前触れとなり、のちのイル・ハン国(Ilkhanate)成立につながる過程の重要な一歩となりました。
- 中国南部の南宋とモンゴルの衝突:モンゴルは金朝・西夏などを制圧した後、南宋に対する軍事圧力を強めており、13世紀中葉は南北両王朝間の緊張と戦闘が続いた時期です。これによって東アジアの政治地図が急速に変化していきます。
- インド亜大陸・中東の状況:デリー地方やペルシア語圏では王朝交替や軍事衝突が断続的に起こっており、モンゴルの進出は政治的・宗教的影響を大きく与えました。エジプトのマムルーク朝やその他の勢力も、モンゴルの脅威に対する対応を迫られていました。
- 日本:鎌倉時代(鎌倉幕府の執権政治)の時代で、北条氏の執権体制が続いています。1256年の国内大事件として特筆すべき大規模な戦乱は記録上少ないものの、院政や朝廷・幕府の関係、荘園制度など社会経済面での変化が継続していました。
2 誕生
1256年に関して確実に記録されている「著名人の誕生」は地域史料によって差があります。次の点に注意してください:
- 中世の出生年は史料によって不確定な場合が多く、暦法や年代記の差異により年がずれることがあります。
- そのため、1256年生まれとされる人物の一覧は史料によって異なり、確定的な大物史料は限られます。詳細な個別名簿が必要であれば、地域(ヨーロッパ、ペルシア、中国、日本など)を指定していただければ、史料に基づいて可能な限り精査して一覧を作成します。
3 死亡数(主な死亡)
1256年に関する死亡記録も同様に史料依存であり、地域ごとに異なります。ここでは1256年の出来事と関連して言及される代表的な動向を示します:
- アルアムト陥落に伴い、ニザール派指導層や城内にいた人々の多数が殺害・処分されたとする史料があります。これによりニザール派の政治的・軍事的指導体制は大きく損なわれました。
- その他、地方の諸侯・宗教指導者・学者など、多数の個別の死亡が各地域で記録されていますが、正確な一覧化には一次史料の確認が必要です。
補記・参考
- 1256年は「モンゴルの西方進出」が歴史的な転換点となった年の一つです。アルアムトの陥落とそれに続くペルシア支配の確立は、中東・西アジアの政治構造を大きく変えました。
- ヨーロッパ側では同年が特定の一大事件で注目されるというよりは、王権・都市・教会など複数の社会勢力の相互作用が続く「移行期」の一部分を成しています。
- より詳しい「人物別の誕生・死亡一覧」や「地域別の年表(都市ごとの出来事・戦闘・法令など)」が必要でしたら、対象地域を指定してください。一次史料(年代記、王家の記録、宗教機関の記録等)を基にして、できるだけ正確に拡充します。
イベント情報
ヨーロッパ
- 5月4日 - 教皇アレクサンダー4世が、レクチェート修道院のアウグスティノ修道会を構成する教皇勅書Licet ecclesiae catholicaeを発行。
- 現在のウクライナにある都市リヴィウは、ロシアのダニーロ王によって設立された。
- ビザンチン皇帝テオドール2世ラスカリス(ニカイア帝国に亡命中)は、ブルガリア人からトラキアを取り戻すために1年前に始めた軍事作戦を成功させる。
アビンドン・スクールが設立される。ロジャー・ベーコン、フランシスコ会の修道士になる。
アジア
誕生日
- 1月6日 - ドイツの神秘主義者、ゲルトルート大帝
- フランスのブルボン家の創始者であるクレルモン伯爵ロベール(死去 1317)
- イブン・アル・バンナ、アラブの数学者(死去 1321)
訃報
- 1月28日 - ウィリアム2世(オランダ伯爵、ドイツ国王
- 6月13日 - 丹溪、日本の彫刻家(生まれ 1173)
- 9月1日 - 日本の将軍、九条頼経(生まれ 1218)
- 10月14日 - 日本の将軍、九条頼嗣(生まれ 1239)
- ウィリアム・オブ・キルケニー、イングランドの大法官
- ヨハネス・デ・サクロボスコ(英国の学者
百科事典を検索する