概要
1500年(MD)は、ユリウス暦では水曜日から始まる閏年だったが、推定グレゴリオ暦では閏年とは見なされない。同時代人や後世の歴史家は、1500年を象徴的な節目として扱ってきた。第二千年紀のちょうど中間、すなわち前後500年の地点に当たるためであり、また、中世から近世への移行点として、やや恣意的ながらしばしば挙げられる。
文化的・宗教的背景
ヨーロッパの多くのキリスト教徒は、1500年に特別な関心と不安を抱いていた。『ヨハネの黙示録』の解釈や、「時と時々と半時」のような句(「時の後の半時」と訳されることもある)は、ある読者にその頃の黙示録的な出来事を期待させた。こうした予期は、政治の中央集権化、宗教上の論争、そしてとりわけ大西洋の向こうの土地に関する報せといった急速な変化によって強められ、1500年は終わりと始まりの時代のように感じられた者もいた。ただし歴史家は、予言の計算や民間の信仰は地域ごとに大きく異なり、ヨーロッパ全体で一様だったわけではないと注意している。
なぜ1500年が転換点とみなされるのか
1500年を中世と近世の境界とする考えは、単一の決定的断絶というより、歴史叙述上の便宜である。この時期前後に重なって進んだいくつかの変化が、その慣例を説明している。
- 長距離海上航海の拡大と、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸の間で持続的な接触が始まったこと。
- 印刷の普及と書籍流通の拡大により、文化的・知的変化が加速したこと。
- イタリアの盛期ルネサンスや、それに関連する他地域の動きに結びつく芸術上の発展。
- 中央集権的君主制や初期近代国家の制度が成長し、政治権力の構造が変化したこと。
探検と世界的接触
15世紀末から16世紀初頭にかけては、ヨーロッパの視点から見ると、地理的な拡大が劇的に進んだ。ポルトガルとスペインの航海者たちの航海は、新たな海上ルートと海外領有権を成立させた。1500年には、ペドロ・アルヴァレス・カブラル率いるポルトガル船団が、後にブラジルとして知られることになる海岸に到達し、南アメリカの一部に対するヨーロッパによる植民の始まりとなった。これらの航海は、しばしばコロンブス交換と呼ばれる長期的過程、すなわち旧世界と新世界のあいだでの植物、動物、人々、技術、病気の移転の基盤を築いた。
知的・芸術的・経済的変化
1500年頃、ルネサンスはイタリアで成熟しつつあり、ヨーロッパの他地域にも影響を及ぼしていた。画家、彫刻家、建築家たちは、自然主義、比例、古典古代のモデルを重視する作品を生み出していた。前世紀に発明・普及した活版印刷は、この時点までに、思想、識字、学術的論争を広める強力な原動力となっていた。経済面では、拡大する交易網、商人資本の台頭、そして変化しつつある金融慣行が、しばしば初期近代経済の成立に結びつけられる転換を促した。
注目すべき点と区別
- 1500年は便利な年代指標ではあるが、厳密な歴史的断絶ではない。初期近代世界に関わる多くの変化は、数十年から数世紀にわたって徐々に進んだ。
- この年が終末論的に特別視されたのは、民衆的・知識人層の両方に見られた千年王国思想の潮流を反映しているが、その期待は地域限定的で、議論の対象でもあった。
- 暦上の注意として、閏年の計算はユリウス暦とグレゴリオ暦で異なるため、後代の暦を遡及的に適用すると日付が変わることがある。
総じて、1500年をめぐる出来事と文化のリズムは、海を越えた結びつきの拡大、知的交流の活発化、そして後の数世紀を形づくる政治的変動を伴う、動き続ける世界を示している。