1718年は初期啓蒙時代に属し、スペイン継承戦争後の数十年の中に位置する。この年、ヨーロッパの外交と植民地競争は引き続き国境線や交易を再編し、大西洋世界では海上暴力と都市創設をめぐる鮮烈な出来事が見られた。

政治と外交

ヨーロッパでは1718年、列強の間に続く緊張が表面化した。ポジャレヴァツの和約(パッサロヴィッツとも呼ばれる)は、ハプスブルク君主国とオスマン帝国の戦闘を終結させ、バルカン半島とドナウ前線における領土変化を確認した。別の地域では、スペインとの新たな対立が、イギリス、フランス、オーストリア、オランダからなる四国同盟の形成につながり、地中海での海軍行動は四国同盟戦争(1718年–1720年)の一部となっていった。

植民地と入植地

北アメリカでは、フランスがミシシッピ川下流域にニューオーリンズを建設したことが大きな都市創設となった。1718年、ジャン=バティスト・ル・モワン・ド・ビエンヴィルによって創設されたこの入植地は、フランス領ルイジアナにとって戦略的な港であり、文化が交わる結節点へと成長し、以後何世紀にもわたってこの地域の経済と人口構成を形づくった。

海事史と海賊

この年は、大西洋における悪名高い海賊行為の抑圧でも知られる。エドワード「黒ひげ」ティーチはノースカロライナ沖でイギリス海軍と戦って死亡し、いわゆる「ジェントルマン・パイレート」ことスタード・ボネットは捕らえられ、その後まもなく処刑された。これらの出来事は、植民地側が航路の安全を確保し、大西洋の交易路で法を徹底しようとする取り組みの転換点となった。

主な出来事(選)

  • ポジャレヴァツの和約(パッサロヴィッツ)がオーストリア・オスマン紛争を終結させ、バルカン半島の領土を再配分した。
  • イギリスなどがスペインの野心に対抗し、地中海で海戦が起こり、より大きな戦争の前触れとなった。
  • フランス人入植者によるミシシッピ川沿いのニューオーリンズ創設。
  • 海賊黒ひげの死とスタード・ボネットの捕縛・処刑は、海賊取り締まりの強化を示した。

単独の転換点ではないものの、1718年はこの時代の継続的な傾向をよく示している。すなわち、大戦後の外交再編、植民地帝国の拡大と固め直し、そして世界情勢における海軍力と商業安全保障の重要性の高まりである。