1890年アメリカ国勢調査とは — ホレリスの機械集計・人口・記録消失

1890年アメリカ国勢調査の革命と悲劇—ホレリスの機械集計で迅速化した集計、人口・先住民数、1921年の記録焼失、フロンティア消滅を詳解。

著者: Leandro Alegsa

第11回アメリカ合衆国国勢調査は、1890年6月2日に実施されました。公式の総人口は62,979,766人と報告されており(約6,298万)、当時のアメリカ合衆国の人口動態や地域分布を把握する重要な資料となりました。なお、当時の集計結果や報告書は国勢調査局(Census Bureau)から公表されていますが、原始的な集計方法から機械的処理への転換が行われた点で歴史的に特筆されます。

この国勢調査のデータは、史上初めて機械で集計されました。ハーマン・ホレリスが考案したパンチカード式のタビュレーティング装置(電気接続による孔あけカードの集計機)を用いることで、これまで手作業で数年を要していた集計作業が飛躍的に短縮されました。結果として、前回の1880年国勢調査での集計期間が約8年を要したのに対し、1890年は約1年で主要な集計が完了するほどの効率化が実現しました。ホレリスの技術は後にタビュレーティング・マシン会社を基盤に発展し、のちの計算機産業(後のIBM)へとつながっていきます。

1890年の国勢調査では、合計で248,253人のネイティブ・アメリカンがアメリカに住んでいることが記録されました(詳細はネイティブ・アメリカンに関する資料参照)。これは、1850年の国勢調査における約400,764人からの減少を示しており、19世紀後半における疾病、移住・強制移住、生活環境の悪化などによる人口変動が反映されています。ただし、当時の調査方法や到達困難な地域の状況から、実際の人口については過小報告(アンダーカウント)があったと考えられています。

フロンティア「閉鎖」とその影響

1890年の国勢調査の集計結果は、アメリカ合衆国の国土における「フロンティア(開拓地帯)」がもはや明確な境界として存在しないことを示すものと解釈され、アメリカの西進時代の終焉を象徴するデータとして注目されました。この認識は歴史学者フレデリック・ジャクソン・ターナーの「フロンティア論(Frontier Thesis)」を刺激し、アメリカ合衆国の国民性や歴史解釈に大きな影響を与えました。

記録の消失と現在に残る資料

しかしながら、1890年国勢調査のオリジナルの大半は1921年の火災で失われました。ワシントンの商務省(当時の保管場所)で発生した火災およびその後の損傷処理により、多くの個票(スケジュール)が焼失・廃棄され、研究者にとって重要な一次資料が失われてしまいました。一方で、各州や郡に残っていた副本、あるいは一部の地域分の写し・断片は保存され、国立公文書館(National Archives)や州立アーカイブ、大学図書館などに所蔵されているものもあります。そのため、完全にすべてが失われたわけではなく、断片的な痕跡から当時の状況を復元・研究する取り組みが続けられています。

意義と遺産:1890年国勢調査は、機械式データ処理の実用化という点で統計史・情報技術史における転換点でした。ホレリスのタビュレーティング機械はその後の大量データ処理技術の祖型となり、近代的な国勢調査の正確性・迅速性向上に寄与しました。また、フロンティア閉鎖の報告はアメリカ史研究に新たな視点をもたらし、移民、先住民政策、都市化といった後続の課題を考えるうえでも重要な出発点となっています。

参考・補足:当時の集計方法や原票の保存状況、ネイティブ・アメリカンの人口推計などは、現在でも史料学的・統計学的な再検討が行われており、新たな研究成果が随時発表されています。



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