中止された1940年夏季五輪—東京招致からヘルシンキ移管と中止の経緯
1940年夏季オリンピック(正式名称:Games of XII Olympiad)は、最終的に開催されなかった大会である。
選定と東京招致の背景
日本では東京で開催される予定だった。この決定は当時の国際情勢や日本側の積極的な招致活動によるもので、もし実現していればアジアで初めての夏季オリンピック開催となるはずだった。
辞退と移管の経緯
1937年に日中戦争が拡大する中、戦時下の資源配分や治安上の問題から日本側は開催困難と判断し、1938年に公式に辞退の意思を示した。これを受けて、1938年、国際オリンピック委員会は、フィンランドのヘルシンキで大会を開催することを決定した。ヘルシンキはもともと東京の有力な競合都市(第1回投票の次点)でもあり、代替開催地として選ばれた。
中止とその影響
しかし、1939年に欧州で戦火が拡大し、第二次世界大戦が本格化すると、1940年の国際的な移動や大会運営は困難となり、結果として大会は開催中止となった。夏季大会だけでなく1940年・1944年のオリンピックはすべて中止され、次に実際に開催された夏季大会は戦後の1948年ロンドン大会である。
その後の経緯と遺産:東京は戦後もオリンピック招致を続け、1964年に初めて東京大会を実現した(以降2020年大会も東京で開催〔実際の競技は2021年に実施〕)。ヘルシンキは最終的に1952年に夏季オリンピックを開催している。1940年大会の中止は、戦争がスポーツと国際交流に与えた重大な影響を象徴する出来事として歴史に残っている。
関連ページ
- 日本におけるスポーツ
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