1944年の夏季オリンピック(正式名称:Games of the XIII Olympiad)は開催されませんでした。
招致と選出
この大会は第二次世界大戦のために中止されました。開催地にロンドンが決まったのは、1939年6月に行われた国際オリンピック委員会の選挙で、当時の他の立候補都市であったローマ、デトロイト、ローザンヌ、アテネ、ブダペスト、ヘルシンキ、モントリオールを抑えての選出でした。ロンドンは当時の主要競技会場としてウェンブリー・スタジアムや既存の施設の利用が想定されていました。
中止の経緯
1939年9月の戦争勃発以降、国際的な移動や輸送、資材配分は急速に制約され、各国のスポーツ関係者や選手の多くが軍務に就きました。これらの現実により1944年大会の準備は実質的に不可能となり、大会自体は開催されないことが確定しました。夏季大会だけでなく、同時期に予定されていた冬季大会も戦争のため中止されました。
戦時中の関連出来事
- 1944年は、IOC創立50周年にあたる年でした。戦時下にもかかわらず、IOCは本部のあるスイスのローザンヌで1944年6月17日から19日にかけて記念行事を行い、創立の節目を国内外に示しました。
- 当時のスポーツ界の有力者の一人であったカール・ディエムは、1936年ベルリン大会での聖火リレーの考案に関わっていたことでも知られており、ローザンヌでのジュビリー・セレブレーションにも関与しました。なお、現代の聖火リレーの大きな広まりは1936年大会にさかのぼります。
収容所での「捕虜オリンピック」
戦時中でもオリンピック精神が消えなかった例として、ポーランド人捕虜が収容されていたヴォルデンベルグ(ドビエグニェフ)オフラグII-C捕虜収容所で行われた非公式の捕虜オリンピックが挙げられます。1944年、この収容所では捕虜たち自身の手で陸上競技や体操、球技などの大会が組織され、手作りのメダルや記念品が作られました。こうした取り組みは、極限状況下でもスポーツを通じた連帯や人間性の回復が可能であることを示す象徴的な事例とされています。
戦後と1948年ロンドン大会
戦争終結後、次回の夏季オリンピックにあたる1948年の夏季オリンピックはロンドンで開催されました。戦後の混乱と復興途上で行われたため、1948年大会は「Austerity Games(倹約の大会)」とも呼ばれ、新規の競技施設建設は最小限にとどめられ、食糧や物資の配給制限が続く中で開催されました。なお、1948年大会については戦後の事情を踏まえてあらためて正式な選挙は行われず、ロンドンでの開催が決定されました。
意義と遺産
1944年大会の中止は、国際スポーツが国際政治や紛争の影響を強く受けることを示しました。同時に、収容所での非公式大会や戦後のロンドン大会の開催は、オリンピック精神—平和、友好、競技を通じた相互理解—が逆境の中でも生き続けることを示す出来事でもありました。戦後の大会が復活したことは、国際社会の再建と人々の日常生活の回復を象徴するものとなりました。