2011年エジプト革命(アラブの春):1月25日の怒りからムバラク辞任まで
2011年エジプト革命の全貌を分かりやすく解説:1月25日の抗議からネット遮断、激しい市街戦、ムバラク辞任までの経緯と影響を詳述。
2011年のエジプト革命では、エジプトで大規模なデモや暴動が行われた。1月25日は「怒りの日」「反乱の日」とも呼ばれ、抗議行動の開始日となった。
背景
この抗議は、直前に起きたチュニジアの反政府運動(ジャスミン革命)が引き金となった。エジプトでは長年にわたる警察の横暴、緊急事態法による市民権の制限、選挙の不正や一党的な政治体制、官民の腐敗、若年層を中心とした高い失業率、低い賃金、水準の低い生活環境などが積もり積もっていた。人々の不満は経済的・社会的・政治的に多岐にわたり、複数の世代・宗教・階層が共通の目標で結集する契機となった。
抗議の開始と拡大(1月25日以降)
2011年1月25日、野党や市民活動家が呼びかけてデモが各地で始まった。抗議はカイロやアレクサンドリア、スエズ、イスマイリヤなど主要都市に広がった。活動家たちはソーシャルメディアや携帯電話を用いて参加を呼びかけ、特に若年層の動員が顕著だった。
抗議者の要求は多岐にわたり、代表的なものは次のとおりである:
- 警察の暴力や人権侵害の撤廃
- 緊急事態法の廃止と公正な司法
- 自由で公正な選挙の実施
- 汚職の根絶と行政の透明性
- 表現の自由の回復(言論の自由の保障)
- 雇用の創出と生活水準の向上(賃金・住宅・物価対策)
政府の対応:検閲と弾圧
抗議の初期段階で、政府は国内の多くのメディアに対する検閲を強化し、抗議情報の拡散を抑えようとした。抗議者が活用していた主要なソーシャルメディアや通信手段への遮断も試みられ、1月28日には全国的なインターネットと携帯電話の「ブラックアウト」が始まった。ただし、携帯電話の一部サービスは翌朝には再開された。
治安当局は反暴動部隊を動員してデモの鎮圧を図り、盾やゴム弾、バトン、水砲、催涙ガスを使用した。一部では実弾の使用や死傷者の発生も報告された。政府は外出禁止令を出すなど秩序回復を理由に強硬手段を正当化したが、多数の逮捕と負傷者、死者が出た。
主要な出来事と影響
抗議は短期間で全国的な規模に拡大し、中心的な占拠地となったのがカイロのタハリール広場(解放広場)である。多様な社会集団が一堂に会して座り込みと集会を行い、革命の象徴となった。海外メディアや市民ジャーナリストの映像・情報発信により、世界中の注目が集中した。
当局の抑圧や暴力行為に対して、国際的な非難と支援の声が高まった。ソーシャルメディア(ツイッター、フェイスブック、ユーチューブのようなサービス)が情報流通と連帯形成に重要な役割を果たしたため、政府はこれらへのアクセス制限も強めた。
犠牲と拘束
短期間で多数の逮捕者や負傷者、死者が出た。報道時点での数値は局地的・時期的に差があるが、1月末には約1,000人の逮捕、1,030人以上の負傷、数十人の死亡が報告されていた。後の調査・報道では、死者数や負傷者数の推計はさらに増える場合がある。
政治的結末とその後
モハメド・エルバラダイは、当初からムバラク政権の退陣を求める声の一人として注目された。最終的に、長年の独裁体制の象徴であったホスニ・ムバラクは、2011年2月11日に大統領職を辞任した。権力は軍(最高軍事評議会)に移され、暫定統治が始まった。
ムバラクはその後、公的責任や抗議者への武力行使に関する刑事訴追を受けた。2012年には一審で有罪・無期懲役の判決が出されたが、その後の上訴や再審を経て法的手続きは複雑な推移をたどった。最終的には裁判・上訴の過程で一部の判決が覆り、ムバラクは2017年に釈放された。
評価と影響
2011年のエジプト革命は、アラブ世界に連鎖的な変革をもたらした「アラブの春」の中心的出来事の一つとされる。短期的にはムバラク退陣という成果を上げた一方で、のちの政治的混乱、軍と市民の関係、宗教勢力と世俗勢力の対立、人権や治安の問題など、新たな課題も顕在化した。長期的な民主化の道筋は複雑であり、評価は国際的にも分かれるが、市民の自発的な動員が大きな政治的変化をもたらした歴史的出来事である点は広く認められている。
この革命は、情報技術の利用、市民運動の組織化、国家の情報統制への対応といった現代的な政治変動の典型例としても重要であり、同時代の社会運動研究や国際政治の検討において重要な事例となっている。

怒りの日にデモ行進するデモ隊。
革命論
- エジプト革命、政治家のアハメド・ガネム。
- ガネム著「革命エギプティエンヌ」(フランス語で革命について書かれた本)。
政治活動家
- アハムド・ガネム
- アスマア・マフフーズ
- イスラエル・アブデル・ファッタ
質問と回答
Q: 2011年のエジプト革命は、何と呼ばれていますか?
A: 2011年のエジプト革命は、「怒りの日」「反乱の日」とも呼ばれています。
Q: 抗議運動はいつ始まったのですか?
A: デモは2011年1月25日に始まりました。
Q: デモが始まる前に何があったのですか?
A: デモが始まる前に、チュニジアで蜂起がありました。
Q: 人々はどのようなことに抗議し、デモを行ったのでしょうか?
A: 人々は、警察の横暴、非常事態法、自由な選挙の欠如、汚職、言論の自由の制限、高い失業率、低い最低賃金、十分な住宅がないこと、食料価格のインフレ、貧しい生活環境など、さまざまなことに対してデモや抗議をしました。
Q: 政府はどのようにデモを制限しようとしたのですか?
A: 政府は、盾、ゴム弾、警棒、水鉄砲、催涙ガス、時には実弾を使用した反暴動隊を使い、デモを解散させ制限しようとしました。また、インターネットへのアクセスを遮断し、夜間外出禁止令を出しました。
Q: ソーシャルメディアは、抗議行動中に起きていることについてニュースを広めるのに、どのように役立ったのでしょうか?
A: 活動家たちは、Twitter、Facebook、YouTubeなどのソーシャルメディアを使って、お互いに話をしたり、抗議活動中に何が起こっていたかを記録したりしました。その結果、エジプト全土だけでなく、世界中で何が起きているのかが伝わりました。
Q: 2011年2月11日に何が起こったのですか?
A: 2011年2月11日、ムバラクは大統領職を辞任しました。
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