概要

紀元前321年は、アレクサンドロス大王の死(紀元前323年)の直後に続く、混乱した数十年の中に位置する。彼の将軍たちが帝国の支配権を争う転換点であり、ローマ共和政にとっては軍事的危機の年でもあった。ローマの年代記では、ユリウス暦以前のローマ暦に記録されている。

アレクサンドロスの後継者たち(ディアドコイ)

東地中海とアジアでは、アレクサンドロスの旧部下たちが、一時的な任務を恒久的な権力へと変えようと競い合った。名目上の王たちの摂政を務めていたペルディッカスは、プトレマイオスの権威に挑むため、エジプトへの遠征を開始した。しかしその遠征は失敗し、ペルディッカス自身の上級将校たちが彼に反旗を翻したため、彼はエジプト遠征中に暗殺された。

ペルディッカスの死後、主要な将軍たちの間で領土の再分配が行われた。トリパラディソスで開かれた会議はサトラペイアを再編し、新たな権限の配分を認めた。マケドニアの有力官僚や属州総督は確認された者もいれば交代した者もいた。こうした取り決めは対立を終わらせはしなかったが、後のヘレニズム王国へと発展していく政治地図を作り直した。

ローマ共和政とカウディウムの屈辱

イタリアでは、ローマがサムニウム人との長期にわたる戦争を続けていた。ローマ軍はカウディウムの峠で包囲され、サムニウムの司令官が整えた屈辱的な降伏を受け入れざるを得なかった。この出来事はローマの威信を傷つけ、一時的な政治・軍事危機を生んだが、ローマは後年に最終的に立ち直った。

結果と意義

紀元前321年の出来事は、アレクサンドロス帝国の分裂を加速させ、ディアドコイ同士の長期戦争の舞台を整えた。その過程から、やがてエジプト、シリア、マケドニアなどのヘレニズム諸王国が成立した。同時に、カウディウムのような敗北の後でも立ち直ったローマの粘り強さは、イタリア全土への着実な拡張に寄与した。

注目すべき死者

  • ペルディッカス — マケドニアの将軍・摂政。エジプト遠征中に暗殺された。