675年(DCLXXV)— ユリウス暦の7世紀の年
ユリウス暦の675年(DCLXXV)。コンスタンティノープルに対するアラブ軍の包囲が続き、ユーラシア各地で政治・宗教・文化の変化が進んだ7世紀半ばの年。
675年(DCLXXV)は、7世紀半ばにあたるユリウス暦の平年である。この時期のユーラシアでは急速な変化が進行していた。ヨーロッパでは中世初期の王国が統合を進め、初期イスラーム諸政体は台頭と領土拡大を続けた。また東アジアでは、唐朝と同時代の諸国家のもとで、活発な政治・文化活動が展開されていた。
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1 画像政治・軍事的背景
この10年間にわたる最も重要な紛争の一つは、ウマイヤ朝がビザンツ帝国の首都に加えた海上・陸上からの圧力であった。一般に674年から678年とされる第1次コンスタンティノープル包囲はこの時期に進行中であり、東地中海における軍事・外交上の優先課題を左右した。
イスラーム世界では、ムアーウィヤ1世がダマスカスを拠点とするカリフとして統治を続け、辺境での軍事行動と海軍力の発展を指揮した。西ヨーロッパでは、かつてのローマ属州は後継王国の入り組んだ地域となっていた。ブリテン島にはアングロ・サクソン系の諸政体があり、大陸にはメロヴィング朝の諸領域と王権に従属する諸領域が、イタリア半島には自治的な公領が存在した。
地域の動向
- ブリテンとアイルランド:ノーサンブリアなどのアングロ・サクソン諸王国は勢力を固めつつあり、キリスト教修道院のネットワークは、学問と教会的権威の重要な中心であり続けた。
- 東アジア:高宗治下の唐朝は、中国における支配的な勢力であり続けた。日本では、壬申の乱後の飛鳥時代における政治的再編が、皇権と朝廷の改革を形づくった。
- 朝鮮と中央アジア:朝鮮三国時代の後には、唐との関係における国境の変動と外交が続いた。中央アジアでは、後にシルクロードとなる交易路に沿った交易と交流が、多様な文化・諸政体を結び付けた。
宗教・文化・社会
キリスト教、仏教などの宗教制度は、教育、識字、芸術制作において中心的な役割を保った。西ヨーロッパでは教会が法と社会組織を形づくり続け、東アジアでは仏教および儒教の制度が統治と文化に影響を及ぼした。長距離交易と外交使節は、地域を越えた物資、思想、技術の交流を支えた。
主な人物と遺産
この年の著名な指導者には、イスラーム世界のムアーウィヤ1世、唐の高宗(ならびに影響力を強めつつあった武后)、ブリテンのノーサンブリア王エグフリスなどが含まれる。地中海での海戦、中世初期の王国の統合、唐代の展開といったこの時期の出来事は、後世の政治地図と文化の歩みに影響を与えた。
暦年上の呼称としての「675年」は、中世初期にヨーロッパで年数表記の標準的方法となった西暦紀元の体系の一部である。歴史家は、この年を単一の決定的事件に支配された年としてではなく、相互に結び付いた複雑な7世紀の諸過程を位置付けるための基準点として用いる。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 675年(DCLXXV)— ユリウス暦の7世紀の年 Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/113020