カール13世(Karl XIII)— スウェーデン王・ノルウェー王(在位1809年–1818年)

カール13世(在位1809–1818)の生涯と政治、王位継承の謎やスウェーデン・ノルウェー統治の軌跡を詳述する歴史解説。

著者: Leandro Alegsa

Karl XIII(日本語表記:カール13世、ノルウェーではカール2世)は、1748年10月7日生まれ、1818年2月5日に没したスウェーデンの君主で、在位は1809年–1818年(スウェーデン王)、1814年–1818年(ノルウェー王)であった。父はスウェーデン王アドルフ・フレデリック、母はプロイセン王フリードリヒ2世の妹ルイザ・ウルリカである。彼は王家の次男として生まれ、若年より公的な役割を与えられた。

生涯と人物

カール13世は王位に就く以前、王族として軍事や宮廷の職務に関わったが、健康面や性格の面から積極的に政治を主導するタイプではなかった。1774年に王女ヘドヴィグ・エリザベット・シャルロッタ(Hedvig Elisabeth Charlotte)と結婚したが、長く子孫を残すことはできなかった。

1809年の即位と憲法

1808–09年のフィンランド戦争でスウェーデンはロシアに敗れ、フィンランドを失ったことを契機に国内で政変が起き、グスタフ4世アドルフが退位した。これを受けてカール13世は1809年に王位に就き、新たに制定された1809年の憲法(Instrument of Government)を受け入れて立憲君主制へと移行した。この憲法によって王権は制限され、国王は議会(リクスダーグ)とともに国家運営を行う立場となった。

継承問題とベルナドット家の登場

カール13世には有力な嫡出子が残らなかったため、王位継承は大きな政治課題となった。1810年、フランスの元帥ジャン=バティスト・ベルナドッテ(Jean-Baptiste Bernadotte)がスウェーデンの王位継承者(養子として)に選ばれ、のちにカール14世ヨハン(Karl XIV Johan)として王位を継承しベルナドット朝を開いた。ベルナドットの登場はスウェーデンの対外政策や王政の実務に大きな影響を及ぼした。

ノルウェーとの連合

ナポレオン戦争末期の国際情勢変化により、デンマーク領ノルウェーが1814年にスウェーデンに移されることとなり、同年カール13世はノルウェー王(カール2世)としても戴冠した(ノルウェー側は独自の憲法を保持したまま個人連合の形で合意が成立した)。この合意は1814年のMoss協約などを通じて実現した。

死去と評価

カール13世は1818年2月5日に死去し、養子のジャン=バティスト・ベルナドッテ(カール14世ヨハン)が王位を継承した。カール13世の在位は、1809年憲法の成立やノルウェーとの連合成立、そしてベルナドット王朝の成立という点でスウェーデン近代史の転換期に位置づけられる。なお「カール13世」という王名の番号については、中世にさかのぼる架空の王名順序に基づく採番の影響で実際の「カール」と名乗った王は数人しかおらず、この番号がやや大きくなっているという史的事情がある(カール9世が当時の系図に基づいて採番したことによる)。

(参考)カール13世はスウェーデン人の王として知られる。スウェーデン人としての出自や王家の系譜は上述の通りである。



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