ファルコ(Falco、1957年2月19日、ヨハン(ハンス)・ヘルツェルとしてオーストリアのウィーンで生まれ、1998年2月6日にドミニカ共和国のプエルトプラタで死去)は、オーストリアのポップス歌手であり、作詞・作曲家でもあった。初期はロバート・ポンガーのプロデュースで頭角を現し、シングル「Der Kommissar」で国際的な注目を集めた。
経歴と代表作
1980年代前半にデビューしたファルコは、ドイツ語を主体にしつつ英語やラップ的な要素を取り入れた独特の歌唱スタイルで知られる。彼の代表曲としては、世界的に大ヒットした「ロック・ミー・アマデウス」(「Rock Me Amadeus」)が特に有名で、ドイツ語圏の曲としては唯一アメリカのチャートで1位を記録した例として語られることが多い。1985年から1988年にかけてはオランダのプロダクション・チーム、Bolland & Bollandと共に制作を行い、アルバム「Falco 3」は国際的に大きな成功を収め、アメリカのLPチャートでも上位に達した。
音楽性とプロデュース
初期の成功はロバート・ポンガーのプロデュースによるものが大きく、ポンガーはファルコの最初のヒット曲群と最初の2枚のアルバムを手掛けた。その後Bolland & Bollandと組んだ時期には、よりポップでダンサブルなサウンドを強めた。晩年にはテクノやエレクトロニックな要素を取り入れ、複数のプロデューサーと協働して多彩な作風を試みている。
論争と評価
1980年代中盤、ファルコは歌詞の内容で論争を巻き起こすことがあった。特に「Jeanny」は物語性の強い歌詞が賛否を呼び、一部の放送局で放送制限や批判を受けた。だが、その一方で楽曲の魅力と斬新さは高く評価され、ヨーロッパを中心に高いチャート成績を残した。
私生活と晩年
1988年にイザベラ・ヴィトコヴィッチ(Isabella Vitkovic)と結婚したが、夫婦は翌1989年に別居した。1990年には再びポンガーがプロデュースしたアルバム「「Data de Groove」」(表記揺れあり)など、商業的に振るわない作品も続いた。しかし彼は常に新しい音楽的挑戦を続け、多くのテクノ系トラックや実験的な音作りにも取り組んだ。
死去と遺作
ファルコは1998年に交通事故で亡くなった。現地報道では自動車と大型車両の衝突が伝えられており、享年40であった。亡くなった後、遺作となるアルバム「Out of the Dark (Into the Light)」が発売され、特にドイツ語圏で商業的な成功を収めた。
影響と遺産
ファルコは、非英語圏のアーティストが国際チャートに進出する可能性を示した先駆者の一人と見なされる。ポップ、ロック、ラップ、エレクトロニカを融合させたその音楽性は後続の多くのアーティストに影響を与え、今日でもヨーロッパのポップ史において重要な存在として評価されている。
- 代表シングル:「Der Kommissar」「Rock Me Amadeus」「Jeanny」「Coming Home (Jeanny Part 2)」
- 主なアルバム:初期作品(ロバート・ポンガー制作)、Falco 3(Bolland & Bolland制作)、Out of the Dark (Into the Light)(遺作)
音楽的な革新性とともに、議論を巻き起こした問題作を持ちながらも、ファルコは今もなお多くのリスナーとミュージシャンに影響を与え続けている。

