ジェームズ・コミーとは?元FBI長官の経歴・トランプによる解雇と功績
元FBI長官ジェームズ・コミーの経歴、トランプによる解雇の真相と主要な功績を詳解。捜査・司法での役割と論争をわかりやすく紹介。
James Brien "Jim" Comey, Jr.(1960年12月14日生まれ)は、アメリカの弁護士である。2013年9月4日から2017年5月9日にドナルド・トランプ大統領によって解雇されるまで、連邦捜査局(FBI)の第7代長官を務めた。
コミーは、2002年1月から2003年12月までニューヨーク南地区連邦検事、その後、2003年12月から2005年8月まで米国司法省副長官を務めた。副検事総長として、コミーは米国司法省(DOJ)の2番目に高い地位にあり、その日常的な運営を担っていた。
学歴・初期の経歴
コミーは法律と公務に長年携わってきた人物で、若い頃から連邦捜査や訴追の分野で経験を積んだ。法曹界に入ってからは検察官として重大事件の捜査・訴追に関わり、公的機関と民間の双方で法務に従事した。
FBI長官としての主な出来事と役割
- 組織運営と人事改革:コミーはFBI長官として、組織の倫理規範や内部監督の強化を掲げ、テロ対策やサイバーセキュリティ対策の強化に注力した。
- 2016年大統領選を巡る捜査:2016年の大統領選期間中、ヒラリー・クリントンの私用メールサーバーに絡む捜査をFBIが行い、コミーはその経緯について2016年7月に公表した。選挙直前の2016年10月には、新たな関連メールを検討するため捜査の一時的な再開を発表したが、その後捜査終了を公表した。この一連の対応は選挙や世論に大きな影響を与えたとされ、評価は分かれている。
- ロシア疑惑の調査:2016年以降、米大統領選へのロシアの関与やトランプ陣営とロシアとの関係をめぐる問題が注目され、FBIは関連する捜査を進めた。これらの捜査は後に特別検察官の調査へと発展した。
トランプ大統領による解雇とその経緯
2017年5月9日、トランプ大統領はコミーを解雇した。ホワイトハウスは、コミーがクリントンのメール捜査を扱った方法を理由に挙げた一方で、トランプ陣営や一部の評論家は解雇がロシア疑惑の捜査への影響を目的としたものだと批判した。
解雇後、コミーは大統領との個人的な面談でのやり取りを記録したメモを作成しており、その内容が公的な議論の中心になった。コミーは議会での公聴会で証言し、大統領が捜査の扱いに関して不適切な働きかけをした可能性があることを示唆した。これらの出来事は特別検察官による独立した捜査が行われる契機の一つとなった。
著作とその後の活動
解雇後、コミーは回顧録を執筆し、公的な場で政治や司法の独立性について発言を続けている。著書や講演、メディア出演を通じて、法の支配、政府機関の中立性、職務倫理に関する議論を喚起した。
評価と論争
コミーの経歴は功績と批判が混在している。支持者は彼を法執行機関の独立性を守ろうとした人物と評価する一方、批判者は選挙期間中の一連の発表や情報管理が政治的影響を招いたと指摘する。いずれにせよ、彼の在任期間は米国の司法・政治の重要な論点を浮き彫りにした。
簡潔な年表(主な節目)
- 1960年:ジェームズ・B・コミー誕生
- 2002–2003年:ニューヨーク南地区連邦検事(U.S. Attorney for the Southern District of New York)
- 2003–2005年:米国司法省副長(Deputy Attorney General)
- 2013年9月4日:FBI長官就任
- 2016年:ヒラリー・クリントンのメール問題に関する捜査で公的発表を行う
- 2017年5月9日:トランプ大統領により解雇
- 2018年:回顧録(A Higher Loyalty)を出版(英語圏での出版年)
コミーは長年にわたり米国の司法・捜査機関で中心的な役割を果たしてきた人物であり、その行動や判断は現在でも学術的・政治的に議論の対象となっている。
幼少期
コミーはニューヨーク州ヨンカーズで生まれた。ニュージャージー州アレンデールで育つ。1982年にウィリアム・アンド・メアリー大学で化学と宗教を専攻し、その後、シカゴ大学で法学博士号を取得した。
連邦捜査局長官(2013年~2017年)
2013年9月、コミーはバラク・オバマ大統領によってFBI長官に任命された。
ヒラリー・クリントンと2016年選挙に関する調査
コミーは、ヒラリー・クリントンのメール論争に関するFBIの調査を監督する責任を負っていた。2016年の米国大統領選挙における彼の役割は、特に彼の公的なコミュニケーションに関して、非常に物議をかもした。彼の決断は、FiveThirtyEightのNate Silverを含む多くのアナリストによって、クリントンが選挙を犠牲にした可能性が高いとみなされている。
解散
コミーは2017年5月9日にドナルド・トランプ大統領によって解雇されましたが、これはコミーが2016年の米国選挙に対するロシアの干渉に関するFBIの調査について、司法省に資金増額を求めた数日後と言われています。司法省は、コミーが資金増額を求めたというNew York Timesの報道を「まったくの虚偽」とした。ホワイトハウスの声明では、「コミー氏を解任することは、ロシア捜査の終結に役立つ」とし、早急に終結させるとの声明を発表している。
私生活
コミーは、妻のパトリス・フェイラーとの間に5人の子供を持つ。ローマ・カトリックの家庭で育った。
コミーは2016年まで共和党に所属していたが、無所属を表明した。
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