ロバート・アラン・プロバートRobert Alan Probert、1965年6月5日 - 2010年7月5日)は、カナダのプロアイスホッケーの右ウインガー。オンタリオ州ウィンザー出身で、NHLで長年にわたり活躍したエンフォーサー(ファイター)として知られる。プロバートはナショナルホッケーリーグ(NHL)で通算1,016試合に出場し、主にデトロイト・レッドウィングスとシカゴ・ブラックホークスでプレーした。1980年代後半から1990年代初頭にかけては、チームメイトのジョーイ・コクールと共に「ブルーズ・ブラザーズ」として知られ、激しい対戦やチームの精神的支柱としてファンに強く記憶されている。

経歴と主な記録

  • ドラフト:1983年、NHLドラフトで指名(ドラフト順位は46位)
  • NHL出場:通算1,016試合
  • 得点:通算約396点(得点・アシスト合計)
  • ペナルティ:通算約3,300分のペナルティで当時リーグ歴代上位に位置した(引退時は歴代4位)
  • 現役期間:1985年にNHLデビュー、2002年に現役引退

プレースタイルと影響

プロバートは典型的な「エンフォーサー(守備的役割のファイター)」で、チームメイトを守るために体を張るプレーとしばしば衝突をいとわないファイトで知られていた。一方でスコアリング能力も持ち合わせており、ゴールやアシストでチームに貢献した場面も多い。彼の存在はチームに威圧感を与え、同時代のファンや対戦相手に強い印象を残した。

引退後と法的・薬物問題

2002年に現役を引退した後、プロバートはブラックホークスのラジオ放送チームに加わるなどメディア活動に移行した。しかし、引退後は薬物依存や法的問題に悩まされる時期があった。2003年2月5日には依存症克服のためリハビリ施設に入所したと報じられている。また、2004年6月4日には、BMWのSUVを道路の間違った側に駐車したとされる出来事の後に逮捕され、多くの警察官が関与してプロバートはスタンガンでの制圧を受けたと報道された。

死去と脳の研究

2010年7月5日、プロバートは子供や義父、義母とともにセントクレア湖でボートに乗っていた際に「激しい胸の痛み」を訴えて倒れた。彼の義父であるオンタリオ州コーンウォールの警察署長ダン・パーキンソンは、彼の命を救うために心肺蘇生を試みたが、プロバートはウィンザー地域病院のメトロポリタンキャンパスに搬送されその後死亡が宣告された。葬儀は2010年7月9日にオンタリオ州ウィンザーで営まれ、多くの元チームメイトやライバルが参列した。参列者にはディノCiccarelli、タイDomi、ジェラードギャラント、ダグギルモア、スチュグリムソン、ジョーイKocur、ブラッドMcCrimmon、ダレンMcCartyとスティーブYzermanだけでなく、レッドウィングスのゼネラルマネージャーケンホランドと所有者マイクとマリアンイリッチを含む多くの関係者が出席した。弔辞はイザーマンが行った。

プロバートの脳は、スポーツ関連の頭部外傷や脳震盪の長期的影響を研究するためにスポーツレガシー研究所に寄贈され、2011年2月、研究者たちはボストン大学でプロバート氏の脳に慢性外傷性脳症の(CTE)所見が見つかったと発表した。この発見は、アイスホッケー選手の頭部外傷と長期的な脳障害の関係を示す重要な事例とされ、以降の安全対策や研究に影響を与えた。

評価と遺産

プロバートはそのキャリアを通じて「チームの守護者」としての役割を全うし、ファンやチームメイトから強い支持を受けた一方で、リング外での問題や健康面での悲劇も多く報じられた。引退後のトラブルや早すぎる死、そしてCTEの発見は、競技における脳損傷の重要性を浮き彫りにし、選手の安全対策や脳損傷研究を進める契機となった。