ルーシー・ダフ=ゴードン(Lucy, Lady Duff-Gordon)—英国クチュールの先駆者・タイタニック生還者
ルーシー・ダフ=ゴードン—英国クチュール革新者でタイタニック生還者。華麗な仕立てと波乱の生涯を紐解く人物伝。
ルーシー・レディ・ダフ・ゴードン(Lucy, Lady Duff‑Gordon、本名 Lucy Christiana Sutherland、1863年6月13日–1935年4月20日)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したイギリスのファッションデザイナーで、活動名「Lucile(ルシル、しばしばルーシーとも表記)」で知られます。ロマンティックで舞台的なドレスや、身につける人の動きを意識した柔らかなラインを得意とし、近代的なオートクチュールの先駆者の一人と評価されています。
生涯と経歴
ダフ・ゴードンはロンドンで生まれ、19世紀末に自身のアトリエ兼ブランド「Lucile」を立ち上げ、ロンドンを拠点にサロンを展開しました。やがてロンドンのみならずパリやニューヨークなどにもサロンや支店を持ち、欧米の上流階級や舞台人、社交界の顧客を多く抱えました。舞台衣装の経験を活かした演出的な服づくりや、軽やかな素材使い、下着やネグリジェ風のドレスといった新しい感覚の提案で人気を博しました。
ファッション界への貢献
- ファッションショー(当時は「マネキン・パレード」などと呼ばれた)を商業的に演出し、新聞や雑誌への露出を活用したマーケティングを早くから導入した。
- 職業的なモデル(マネキン)を組織的に起用し、動きを見せることを重視したプレゼンテーションを確立した。
- 従来のきついコルセットに替わる柔らかなラインや、舞踏会・舞台向けのロマンティックな装飾を取り入れ、女性の身体と動作を美しく見せるデザインを普及させた。
これらの点は近代的なクチュールの形成や、後のプレタポルテ(既製服)と高級仕立て服の関係に影響を与えました。彼女の服は現在も博物館やコレクションで保存され、その創意は研究対象となっています。
RMSタイタニックの遭難と論争
1912年4月、ダフ・ゴードンはRMSタイタニック号の遭難事故を生き延びました。彼女と夫サー・コスモ・ダフ・ゴードンは救命ボートで生存したものの、救命ボートが近くの溺れている人を救助しなかったのではないか、救命艇乗組員に賄賂を渡したのではないかといった非難を浴びました。夫が救命ボートの乗組員に金銭を渡した経緯が公的な調査で問題となりましたが、イギリスの公式調査では最終的に両名への罪は問われませんでした。事故当時、ダフ・ゴードンの付き添いで秘書のメーベル・フランカテリ(Mabel Francatelli)も同船し、事故後の公聴会で証言しています。
晩年と遺産
ダフ・ゴードンは晩年もデザイン活動を続けましたが、1935年4月20日に乳がんのパットニーで71歳で亡くなりました。彼女の仕事は、単に服を作ることにとどまらず、ファッションの見せ方、宣伝の手法、プロのモデルの位置づけなどを発展させた点で重要です。現代のファッションショーやブランド運営の多くの要素に、彼女の先駆的な取り組みの影響を見ることができます。
ルーシー・ダフ・ゴードンは、デザイン面での革新だけでなく、女性実業家として国際的に事業を拡げた点でも注目されます。彼女の作品と業績は今日も博物館や学術研究によって顧みられており、20世紀初頭のファッション史における重要人物とされています。

ルーシー、レディ・ダフ・ゴードン 1919年

イヴニング・ドレス 1913年春 ルシール(1863-1935) V&A Museum
ファッションイノベーション
ルーシーは初めてプロのモデルを使い、「マネキン・パレード」と呼ばれるファッションショーを始めた。これが最初のランウェイ、キャットウォークスタイルのショーだった。スリット入りスカートやローネックを発表。コルセットやシンプルなランジェリーを普及させた。
ダフ・ゴードンは、ロンドンのメゾン「ルシール社」の支店をパリ、ニューヨーク、シカゴに開設し、王侯貴族や舞台・映画界の著名人にドレスを提供しました。
書籍
- Duff-Gordon, Lucy 1932.Discretions and indiscretions.Jarrolds.彼女の自伝。
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