アリュートのペテロ(クンガグナック)|コディアック出身の東方正教聖人と殉教
アリュートのペテロ(1815年没)は、クンガグナックとも呼ばれ、東方正教会の一部で聖人として知られている。現在のアラスカにあるコディアック島の出身(アルティイク族の一員)である。アラスカ北部の宣教師ハーマンからキリスト教の洗礼を受け、ペテロと名乗るようになった。サンペドロ(サンフランシスコか南カリフォルニアのどこかと思われる)付近で働いていたスペイン兵に捕まったと言われている。
生涯の概要
ペテロはコディアック島(当時のロシア領アメリカ)の先住民コミュニティに生まれ、ロシア正教の宣教師たちの働きによって信仰を持つようになったと伝えられる。特にアラスカ北部で宣教活動を行った聖ハーマン(Herman of Alaska)らの影響を受け、洗礼を受けて「ペテロ」と名乗るようになった。
19世紀初頭、アラスカの先住民はロシア人商人や狩猟隊とともに海獣(とくにラッコ)を追う遠征に参加することが多く、時に南方のカリフォルニア沿岸域でスペイン勢力と遭遇することがあった。伝承によれば、ペテロはそうした狩猟の一隊に加わってカリフォルニアに渡った際、現地のスペイン兵や役人に捕らえられ、宗教的な圧力を受けたという。
殉教の伝承
伝承の最も広く知られた筋では、ペテロは捕らえられた際にローマ・カトリックの儀式や信仰に改宗することを強要され、それを拒否したために拷問を受け、1815年に殉教したとされる。具体的な状況(どの街で、どの軍勢に、どのような形で処刑されたか)については複数の版や語りがあり、詳細に関しては異説がある。
史実性と論争
ペテロの殉教譚については、歴史家や教会関係者の間で議論が続いている。主な問題点は次の通りである。
- 一次史料の不足:スペイン側の公的な記録や当時の文書に明確な記録が見当たらない、あるいは断片的であること。
- 伝承の伝わり方:物語は口承や後代の教会文献を通じて広まったため、細部が変化した可能性があること。
- 教会側の扱い:東方正教のうち地域や教派によってはペテロを殉教者・聖人として崇敬する一方で、列聖の公式な扱いや普遍的な認知には差があること。
これらを踏まえ、多くの研究者はペテロの物語を信仰史的・文化史的な重要性を持つ伝承として位置づけつつ、史料批判的な検証を続けている。
崇敬と遺産
ペテロは特にアラスカの正教会共同体や、北太平洋の先住民正教徒の間で記憶され、イコン(聖像)や祈祷で取り上げられている。彼の物語は、植民地的な圧力の中で信仰と文化を守ろうとした先住民の経験を象徴するものとして受け取られることが多い。
また、ペテロの殉教譚は20世紀以降の文学や宗教教育、アイコン画などで取り上げられ、信仰のモデルとして紹介されてきた。ただし、その史実性に関する疑問や研究も並行して存在し、学術的・教会内の議論は継続している。
現代の意義
今日では、アリュートやアルティイクなど北方の先住民がキリスト教とどのように向き合ってきたかを考える上で、ペテロの物語は重要な出発点となる。信仰の伝承、文化的アイデンティティ、植民地支配の歴史をめぐる多面的な問いを投げかける存在であり、史料批判と信仰的記憶の両面からの理解が求められている。