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教皇ピウス5世(アントニオ・ギスリエーリ)

教皇ピウス5世(1504年–1572年)は、アントニオ・ギスリエーリとして生まれたドミニコ会士で、1566年から1572年までカトリック教会を率いた。トリエント公会議の改革を徹底し、ローマ典礼を標準化し、プロテスタントに対抗した聖人。

概要

教皇ピウス5世は1504年にアントニオ・ギスリエーリとして生まれ、1566年から1572年に死去するまでローマ・カトリック教会の首長を務めた。ドミニコ会の一員であった彼は、トリエント公会議の改革を精力的に実施したこと、厳格な禁欲生活、そしてプロテスタントの拡大を阻止しようとした努力で知られる。カトリックの伝統では聖人として崇敬され、宗教改革後の教会における重要人物であり続けている。

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生涯と初期の経歴

ギスリエーリは現在の北部イタリアに生まれ、若くして説教者会(ドミニコ会)に入会した。神学者、教師、異端審問官を務め、道徳的な厳格さと行政上の手腕で評価を得た。ドミニコ会の伝統に根ざした経歴は、教皇就任後の規律、教義の明確さ、典礼の簡素さを重んじる姿勢を形づくった。

教皇職と改革

教皇として、ピウス5世はトリエント公会議の諸決議の実施を最優先した。聖職者には居住義務と教育の基準を徹底させて改革を進め、司祭養成のための神学校を奨励し、腐敗と規律の弛緩を抑えようとした。カトリック世界の広い範囲で実践を標準化する権威ある典礼書を公布し、ミサの統一的な執行を促進するために公布したローマ・ミサ典書の版は、長期にわたる影響を及ぼした。

外交政策と主な行為

ピウス5世は当時の政治・軍事問題にも積極的に関与した。オスマン帝国の拡大に対抗するため、キリスト教諸国の海軍同盟である神聖同盟の結成を認可し、1571年のレパント海戦における海軍の勝利はカトリック・ヨーロッパで広く祝われた。また、イングランドのエリザベス1世に対しても強硬な立場を取り、重要な政治的・宗教的影響をもたらす教皇による非難を発した。彼はロザリオへの信心を奨励し、これらの出来事に結び付く典礼上の記念日を定めた。

遺産と列聖

ピウス5世の遺産についての評価は分かれる。教会の規律と典礼上の統一を回復したとして多くの人々から称賛される一方、反対意見に対する厳しさと不寛容さを批判する者もいる。その決定は対抗宗教改革期のカトリック教会と、数世紀にわたり礼拝で用いられた典礼を形づくる一助となった。後に教会は、その敬虔さと改革への熱意を認めて彼を聖人とした。崇敬と記念日に関する情報は、カトリックの聖人伝および典礼暦に記されている。

基本事項

  • 出生名:アントニオ・ギスリエーリ。
  • 修道会:説教者会(ドミニコ会)
  • 教皇在位:1566年–1572年。トリエント公会議の改革の徹底と、標準化されたローマ・ミサ典書の公布で知られる。
  • 主な行為:神聖同盟への支持、およびプロテスタントの君主に対する公然たる反対。
  • 列聖:ローマ・カトリック教会により聖人として崇敬される。

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AlegsaOnline.com 教皇ピウス5世(アントニオ・ギスリエーリ)

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