ロザリンド・フランクリンRosalind Franklin、ロンドン、ノッティングヒル、1920年7月25日 - 1958年4月16日)は、イギリスの生物物理学者で、X線結晶学(特に繊維のX線回折)を用いてDNAやウイルスの構造解明に重要な貢献をした人物です。若い頃から科学に強い興味を持ち、セントポール女学校を経てケンブリッジのニューハム・カレッジで自然科学を学びました。大学卒業後は物理化学を中心に研究を続け、1940年代半ばに博士号を取得して石炭や炭素材料の研究に従事しました。

初期の研究とパリでの研鑽

フランクリンは初期に石炭の微細構造や物性に関する研究を行い、そこで培ったX線回折や電子顕微鏡の技術が後の生体分子研究に生かされました。1947年には数年間パリに滞在して結晶学の技術をさらに学び、繊維や結晶性物質のX線解析に関する経験を深めました。

キングス・カレッジでのDNA研究と「フォト51」

1951年、フランクリンはロンドンへ移り、キングス・カレッジの研究グループに加わりました。そこでの主な任務は、DNAのX線回折写真を撮り、そのパターンから分子の形や配列、寸法を求めることでした。彼女は、DNAがとるA型とB型という異なる構造を区別し、それぞれについて高品質な回折写真と精密な解析を行いました。

この時期、フランクリンと大学院生のレイモンド・ゴズリングは協力して鮮明なX線回折像を得ており、1952年に撮影された有名な「フォト51」は、B型DNAがらせん構造であることを示す決定的な手がかりとなりました。フランクリンの解析は、ヘリックスの直径や繰り返し間隔(塩基対間隔が約3.4Å、1回転ごとに約34Åなど)といった具体的な構造パラメータを示していました。

ワトソンとクリックとの関係、論争

当時、ジェームズ・D・ワトソンとフランシス・クリックもDNAの立体構造を探っており、彼らは模型を組み立てながら仮説を検討していました。ワトソンとクリックはフランクリンの回折写真や未発表の解析データの存在を知り、それらが最終的に彼らの二重らせんモデル(1953年発表)構築に役立ちました。フランクリン本人の許可なくデータが共有された点や、彼女の貢献が適切に引用されなかったことは後に大きな論争となりました。フランクリンは当時、モーリス・ウィルキンスとも職場で関わりがあり、研究上の対立やコミュニケーションの問題も生じていました。

その後の研究と業績

フランクリンはキングス・カレッジでの仕事を終えた後、ビルクベック(Birkbeck)大学でウイルス構造の研究に取り組みました。特にタバコモザイクウイルスの研究では、ウイルスのタンパク質と核酸の空間的配置に関する重要な知見を得ており、ウイルスの自己組織化や構造生物学の発展に寄与しました。彼女の精密な実験手法とデータ解析は、後に電子線回折や凍結電子顕微鏡といった分野で発展する構造生物学の基礎となりました。

最期と遺産

フランクリンは1958年に卵巣がんで亡くなりました。残念ながらノーベル賞は死後授与されないため、1962年にノーベル生理学・医学賞の受賞者となったフランシス・クリック、ジェームズ・D・ワトソン、モーリス・ウィルキンスの3人の業績発表時に彼女の名は候補として挙がりませんでした。しかし、後年になってフランクリンの貢献は広く再評価され、今日ではDNA二重らせん構造の解明と構造生物学の発展における中心的な役割が認められています。

ロザリンド・フランクリンは、優れた実験技術と厳密なデータ解析によって分子生物学の基盤を築いた科学者でした。性別や職場での困難にもかかわらず、彼女が残した詳細なデータと方法論は、その後の構造生物学やウイルス学の発展に大きな影響を与え続けています。