デル・カリー(1964年生)—NBA元SG/SFの経歴と成績

デル・カリー(1964年生)のNBAでのキャリアと成績を総覧。SG/SFでの活躍、所属チーム、ドラフト経緯、栄誉や主要スタッツを詳しく解説。

著者: Leandro Alegsa

ワーデル・スティーブン・"デル"・カリー(1964年6月25日生まれ)は、アメリカのプロバスケットボール選手の引退者である。シューティングガードとスモールフォワードのポジションでプレーし、朗らかな人柄と高精度のスリーポイントで知られた。バージニア工科大学でプレーした後、1986年にNBA入りし、2002年まで現役を続けた。現役引退後も解説やコミュニティ活動、若手育成に関わっている。

経歴(プロ)

1986年のNBAドラフト会議で、ユタ・ジャズから全体15位で指名されたカリーは、その後プロの舞台で長く安定したキャリアを築いた。主な所属チームは次のとおりである。

  • クリーブランド・キャバリアーズ(ドラフト直後〜1988年) — NBAデビューを果たした最初のチーム。
  • シャーロット・ホーネッツ(1988年〜1998年) — 長年にわたりチームの外角シュートを牽引し、チームの重要なベンチおよび先発要員として活躍した。
  • ミルウォーキー・バックス(1998年〜1999年) — ベテランとして短期間プレー。
  • トロント・ラプターズ(1999年〜2002年) — キャリア晩年を過ごし、2002年に現役を引退した。

プレースタイルと特徴

カリーは得点力、特にロングレンジからのシュートが最大の武器で、ピック&ロールやスペーシングを活かしたプレーが得意だった。試合を通じて安定したシュート力を提供できるため、ベンチから得点を与える「第六の男」的な存在としても評価された。フリースローやミドルレンジの精度にも定評があり、ディフェンス側にとって脅威となる外角シューターだった。

成績・実績

カリーは1986年から2002年までの長期にわたるNBAキャリアで、チームを支える得点源として活躍した。キャリア通算では1万点台の得点を記録し、1試合あたりの平均得点はおおむね約10〜12得点程度、スリーポイント成功率はおおむね約40%前後とされる。正確な年度別・通算の詳細データは公式記録を参照されたい。

個人賞としては、長年の安定した貢献が評価され、2004年にはバージニア州のスポーツの殿堂に加えられた。

引退後・私生活

引退後、カリーは解説者やチームのコミュニティ活動、若手育成に携わるなどバスケットボール界に貢献している。また家族との時間を大切にし、息子たちのバスケットボール教育にも深く関わったことで知られる。特に長男のステフィン・カリー(Stephen Curry)はNBAで複数回のMVPやチャンピオンシップを経験するなど世界的なスターに成長しており、カリー家は親子二代にわたるバスケットボール界の名家として注目されている。ほかに息子のセス・カリー(Seth Curry)や娘のシデル(Sydel)もそれぞれバスケットに関係する活動を行っている。

遺産と影響

デル・カリーは「外角シューティング」の重要性を示した先駆的な選手の一人と評価されている。チームに安定したスコアリングをもたらす役割は、同ポジションの理想像の一つとして後進に影響を与えた。加えて、息子たちの成功を通じて家族としてのバスケットボール文化を広く知らしめる存在となった。

さらに詳しいシーズン別成績や個別記録を確認したい場合は、公式のNBA記録や各種スポーツデータベースを参照するとよい。



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