マリア・テレサ・フェリシタス・デステ

マリア・テレサ・フェリシタス・デステ(1726年10月6日 - 1754年4月30日)は、モデナの王女として生まれた。結婚によりペンティエーヴル公爵夫人となる。フィリップ・エガリテの義母であり、後のルイ・フィリップ1世の祖母である。

9人の子供のうちの1人で、長女であったが、母親はやがてフランスに戻り、生活するようになった。フランスでは、遠縁にあたる大富豪のペンティエーヴル公爵と婚約することになる。フランスではマリー・テレーズ・フェリシテと呼ばれた。

結婚

1744年にヴェルサイユ宮殿で、二番目のいとこであるフランス人のルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボン(パンティエーヴル公爵)と結婚したのである。この結婚はとても幸せなもので、夫妻は合計7人の子供をもうけたが、そのうち幼少期を過ごしたのは2人だけであった。

子供たち

  1. ランブイエ公ルイ・マリー・ド・ブルボン(1746年1月2日 - 1749年11月13日)は若くしてこの世を去った。
  2. ランバル公」ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン(1747年9月6日 - 1768年5月6日)は、サヴォワ家のマリー・ルイーズ王女(マドモアゼル・ド・カリニャン)と結婚したが、子供はいなかった。
  3. シャトーヴィラン公ジャン・マリー・ド・ブルボン(1748年7月17日パリ、オテル・ド・トゥールーズ - 1755年5月19日パリ、オテル・ド・トゥールーズ)は若くして死去した。
  4. ギャンガン伯爵ヴァンサン・ド・ブルボン(1750年6月22日 - 1752年3月14日)は若くして死去した。
  5. マリー・ルイーズ・ド・ブルボン、マドモアゼル・ド・パンティエーブル(1751年10月18日 - 1753年9月26日)若くして死去。
  6. ルイーズ・マリー・アデライド・ド・ブルボン(1753年3月13日 - 、1821年6月23日)は、オルレアン公フィリップ・ドルレアンと結婚し、子供をもうけた。
  7. ルイ・マリー・フェリシテ・ド・ブルボン(1754年4月29日 - 1754年4月30日)は若くしてこの世を去った。

死亡

マリー・テレーズ・フェリシテは1754年に出産し、息子を産んだが死亡した。夫は再婚を拒否し、1793年に死去した。娘のマリー・アデライドは、マリー・テレーズ・フェリシテの遺体をドゥルーにある王室礼拝堂に移した。

タイトルとスタイル

  • 1726年10月6日~1744年12月29日 マリア・テレサ・フェリシタス王女(Her Most Serene Highness Princess Maria Teresa Felicitas)
  • 1744年12月29日 - 1754年4月30日 ペンティエーヴル公爵夫人妃殿下
公爵夫人の腕Zoom
公爵夫人の腕


AlegsaOnline.com - 2020 / 2023 - License CC3