マリア・テレサ・フェリシタス・デステ(1726年10月6日 - 1754年4月30日)は、モデナの王女として生まれ、結婚によりペンティエーヴル公爵夫人となった。フランス王家の庶子系統と結びつく名家に嫁いだことで、後にフランス王家やオルレアン家と深い関係を持つ一族の母となった。フィリップ・エガリテの義母であり、後のルイ・フィリップ1世の祖母でもある。

マリア・テレサはイタリアのエステ家(デステ家)の一員として生まれ、父はモデナ公フランチェスコ3世(Francesco III d'Este)、母はオルレアン家出身のシャルロット=アグラエ(Charlotte Aglaé d'Orléans)であった。兄弟姉妹は多く、彼女は9人の子供のうちの長女であった。幼少期の一部をイタリアで過ごした後、母がフランスへ戻って生活するようになり、そこでフランス貴族との結びつきが深まった。

1744年に、当時フランスで有数の富と地位を持っていたブルボン家の一員、ルイ=ジャン=マリー・ド・ブルボン(ペンティエーヴル公)と結婚した。ペンティエーヴル公はルイ14世の庶子を祖に持つ家系であり、その財力と影響力は当時のフランス宮廷でも際立っていた。マリア・テレサはフランスではマリー・テレーズ・フェリシテと呼ばれ、宮廷生活の中で公爵夫人としての役割を果たした。

夫妻の間には9人の子供が生まれたが、多くは幼くして死亡した。とくに知られる娘にルイーズ=マリー=アデライド(Louise Marie Adélaïde de Bourbon, 1753–1821)があり、彼女は後にフィリップ・エガリテ(オルレアン公)と結婚したため、マリア・テレサはその義母となり、子孫を通じて後のルイ・フィリップ1と繋がることになった。

マリア・テレサは1754年に若くしてこの世を去った。短い生涯であったが、イタリアのエステ家とフランスのブルボン系貴族を結ぶ重要な架け橋となり、その血筋は18世紀末から19世紀のフランス王政と深く結びついていった。