ロバート・A・タフト――米国上院議員・保守派の指導者
ロバート・A・タフト(1889年~1953年)は、オハイオ州選出の影響力ある共和党上院議員で、党内保守派の指導者、4度の大統領候補指名争いの候補者、戦後の重要法案の共同起草者だった。
概要
ロバート・アルフォンソ・タフト(1889年9月8日~1953年7月31日)は、アメリカの政治家であり、20世紀半ばの共和党を代表する人物の一人であった。大統領ウィリアム・ハワード・タフトの息子で、1939年から1953年に死去するまでオハイオ州選出の連邦上院議員を務めた。原則を重んじる保守主義と、大規模な国際的関与への慎重な姿勢で知られ、連邦政府の権限を限定し、行政権に対する立法府の抑制を求める有力な論者だった。党内での影響力から、「ミスター・リパブリカン」と呼ばれることもあった。
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4 画像経歴と主な立場
タフトはタフト・スクール、イェール大学、ハーバード・ロースクールで学んだ。弁護士として活動し、州政治に携わった後、公職の道に進んだ。1938年に連邦上院議員に選出されると、保守派議員集団の指導者となり、ニューディール政策による連邦政府の事業拡大をしばしば批判した。広範な行政主導の施策に反対し、州の権利と財政規律を繰り返し主張した。
- 立法:タフトは1947年の労使関係法(一般にタフト=ハートリー法として知られる)の主要な共同提案者であり、同法は労働法上の手続を改正した。
- 外交政策:対外的な関与については、より慎重で憲法にかなった方針を支持した。恒久的な軍事同盟や、平時における大規模な海外関与には懐疑的だった。
- 党指導部:1953年1月3日から同年7月31日の死去まで上院多数党院内総務を務め、長年にわたり上院共和党内で支配的な発言力を持った。
選挙と全国的影響力
タフトは1940年、1944年、1948年、1952年の4度にわたり共和党の大統領候補指名を目指した。指名を獲得することはなかったが、彼の選挙運動は保守政策をめぐる論争に影響を与え、20世紀半ばの共和党の理念形成に寄与した。戦後に形成されつつあった国際秩序の一部への抵抗は、党内穏健派や、より広範な大西洋地域での関与を支持する大統領候補者たちとの対立を生んだ。
歴史的意義
歴史家や政治評論家は、財政保守主義、限定政府への支持、憲法上の手続の重視を組み合わせた共和党内の保守主義の伝統を築くうえで、タフトが貢献したと評価することが多い。重要な労働立法の起草と、対外的関与に関する議会権限を一貫して擁護したことは、立法実務と党の方針に長く影響を残した。
私生活と死去
タフトはオハイオ州シンシナティに生まれ、1914年にマーサ・ウィートン・バウアーズと結婚し、4人の息子をもうけた。専業の政治家となる以前は家族を大切にする人物であり、弁護士として実務に携わった。オハイオ州の政治とも深く結び付いていた。1953年7月31日、ニューヨーク市の病院で脳出血のため、63歳で死去した。生前から死後にかけて、共和党の保守派と密接に結び付けられ、その時代で最も影響力のあった上院議員の一人として記憶されている。米国上院と20世紀半ばの政治について、より広い文脈を知るには、制度および党史に関する関連資料を参照のこと。
著者
AlegsaOnline.com ロバート・A・タフト――米国上院議員・保守派の指導者 Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/144927