スティーブン・A・ダグラス(1813–1861)
アメリカの政治家スティーブン・A・ダグラスは、イリノイ州選出上院議員で、カンザス・ネブラスカ法の提唱者。リンカーン=ダグラス討論と1860年民主党大統領候補として知られる。
概要
スティーブン・アーノルド・ダグラスは、イリノイ州出身の19世紀半ばを代表するアメリカの政治家である。連邦議会では下院・上院の双方で活躍し、カンザス・ネブラスカ法の提唱者として、また1860年の民主党大統領候補として全国的に名を知られた。エイブラハム・リンカーンとの公的な論争や、「人民主権」を擁護する姿勢は、合衆国における奴隷制と領土拡張をめぐる政治闘争の中心人物としての彼の地位を決定づけた。
画像ギャラリー
10 画像生い立ちと台頭
1813年にバーモント州ブランドンで生まれたダグラスは、後に自らの故郷とみなすようになったイリノイ州ジャクソンビルで育った。職業として法律を学んだ彼は1830年代にイリノイ政治へ入り、鋭い討論、組織力、そして実際的な目標のためには妥協をいとわない姿勢で、すぐに評価を高めた。背は高くなかったが、同時代人はその並外れた政治的影響力を示すために「リトル・ジャイアント」とあだ名した。
政治経歴と立場
ワシントンで20年以上にわたり、ダグラスは重要な役職を担い、上院で大きな権限を振るった。彼は、領土に移り住む人々が新しい領土で奴隷制を認めるかどうかを決めるべきだと考え、この原則はしばしば「人民主権」と呼ばれた。彼はカンザス・ネブラスカ法(1854年)を起草し、推進した。この法は西部の領土を奴隷制の是非に関する地元の判断に委ね、事実上ミズーリ協定の地理的制限を撤廃した。この措置は国を深く分断し、親奴隷制派と反奴隷制派の衝突によってカンザスでの暴力を助長した。
- アメリカ合衆国下院議員(イリノイ州)
- アメリカ合衆国上院議員(イリノイ州)
- 1860年民主党大統領候補
リンカーン=ダグラス討論と1860年選挙
ダグラスの最も有名な公開対決は、1858年にイリノイ州上院選挙を戦ったエイブラハム・リンカーンとの討論である。討論では、奴隷制、合衆国の将来、連邦権限の限界が論点となった。地域ごとの決定を重視するダグラスの姿勢と、連邦を維持しようとする努力は多くの北部人に受け入れられた一方、南部民主党員や急進的な廃止論者を遠ざけた。1860年には北部側の有力候補として民主党の大統領候補指名を獲得したが、党内の北部派と南部派の分裂が全国での見通しを損ない、リンカーンの勝利を後押しした。
私生活と死
ダグラスは2度結婚し、双方の結婚で子どもをもうけた。私生活は、最初の妻が若くして亡くなるなどの個人的喪失と、多忙な公的活動の要求に特徴づけられた。1861年、大統領選後まもなく南北戦争が始まる中で病に倒れ、シカゴで、腸チフスの後に肺炎に起因するとされた合併症で死去した。享年48。
遺産と評価
ダグラスへの歴史的評価は分かれている。政治的手腕、実効的な立法指導力、そして地域対立に対する現実的な対応は高く評価される一方、人民主権とカンザス・ネブラスカ法への支持は、地域間の緊張を激化させ、奴隷制拡大を抑えようとする努力を損なったとしてしばしば批判される。ダグラスは、南北戦争の前にアメリカが国内の争いを解決できなかった経緯を理解するうえで、今なお重要な人物である。
著者
AlegsaOnline.com スティーブン・A・ダグラス(1813–1861) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/146147