エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln、1809年2月12日 - 1865年4月15日)は、アメリカの政治家である。第16代アメリカ合衆国大統領。アメリカ南北戦争中の1861年から1865年まで大統領を務めた。南軍の大半が降伏し、戦争が終結したわずか5日後、ジョン・ウィルクス・ブースがリンカーンを暴君であるとして暗殺した。リンカーンは、暗殺された最初のアメリカ大統領である。リンカーンは、アメリカにおける奴隷制の廃止に取り組んだことから、「偉大なる奴隷解放者」として記憶されている。
経歴と初期の活動
リンカーンはケンタッキー州ホッジンヴィルで生まれ、貧しい開拓者の家庭で育った。独学で学問と法律を修め、イリノイ州で弁護士として頭角を現した。政治家としてはイリノイ州議会議員を務めた後、1847年から1849年にかけて合衆国下院議員を1期務めた。
- 若年期:林業や農業に従事しつつ独学で読書・法律を学ぶ。
- 法律家として:イリノイで成功した弁護士となり、法廷での論理力を評価される。
- 政治家としての台頭:1850年代に奴隷制度拡大に反対する立場をとり、共和党結党の流れに加わる。
- リンカーン=ダグラス討論(1858年):奴隷制の問題をめぐる全国的注目を集める。
大統領としてのリーダーシップ(1861–1865)
1860年の大統領選挙で当選したリンカーンは、1861年に就任し、即座に国家の分裂(南北戦争)に直面した。戦時下での首長として、軍の指導、物資供給、連邦政府の統治維持に努めた。戦争は多大な犠牲を伴ったが、最終的に北軍の勝利で終結した。
- 南北戦争の指導:連邦の存続を最重要課題とし、軍の最高指揮系統を支援した。
- 内政上の措置:非常時の権限行使(例えば人身保護令状の一時停止など)は議論を呼んだが、戦争遂行に影響を与えた。
- 戦争終結:リー将軍の降伏(1865年4月9日、Appomattox)により、事実上戦争は終結に向かった。
奴隷制の廃止と法的な措置
リンカーンは奴隷制廃止を政策の中心に据え、特に戦争の戦略的・道義的側面からこれを推進した。
- 予備宣言:1862年9月22日に発表した予備的な宣言に続き、1863年1月1日に発効した奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)は、反乱州の奴隷を「永久に自由」と宣言した。ただし、実効性は連邦の実力支配地域に依存した。
- 憲法改正の働きかけ:リンカーンは第13修正憲法(奴隷制を禁止する修正条項)の成立を支持し、議会承認に向けて努力した。第13修正は戦後の1865年に議会で可決され、同年末に各州の批准により正式に発効した。
- 政策の意義:奴隷解放宣言は軍事的効果に加え、北側の戦争目的を奴隷制廃止という道義的な目標に結びつけ、国際的な支持を得る手助けとなった。
演説と理念
リンカーンは簡潔で説得力のある演説を残したことで知られる。特に有名なのが1863年のゲティスバーグ演説と、1865年の第二期就任演説である。
- ゲティスバーグ演説(1863年11月19日):人間の平等や民主主義の意義を短い言葉で示した名演説で、アメリカ政治思想における重要な位置を占める。
- 第二期就任演説(1865年3月4日):戦後の和解と国家再建への意欲を示し、「憎しみは持たない」という趣旨の一節が有名である。
暗殺と死
南北戦争終結後まもなくの1865年4月14日、リンカーンはワシントンのフォード劇場で観劇中に暗殺され、翌4月15日早朝に死亡した。暗殺者は南部支持の俳優ジョン・ウィルクス・ブースで、リンカーンの後任として副大統領だったアンドリュー・ジョンソンが第17代大統領として就任した。リンカーンの死は国民に深い衝撃を与え、追悼と悲嘆の期間が続いた。
遺産と評価
リンカーンはその生涯と業績からアメリカ史上最も重要な大統領の一人と見なされることが多い。特に以下の点が評価される:
- 国家の統一を守ったこと:連邦維持への決意と指導力が、アメリカ合衆国の存続を確かなものにした。
- 奴隷制度廃止への貢献:法的・政治的手続きを通じて奴隷制を終わらせ、平等の理念を前面に押し出した。
- 言葉と理念の影響:ゲティスバーグ演説などを通じて民主主義と人権の普遍的価値を訴え続けた。
今日もリンカーンはアメリカの歴史的象徴の一つであり、記念館、銅像、書簡や演説の研究を通じて多くの教訓を残している。




