カルメン・アマヤ(1913–1963)—バルセロナ生まれの伝説的ロマ出身フラメンコ舞踊家・歌手
バルセロナ生まれの伝説的ロマ出身フラメンコ舞踊家カルメン・アマヤの激烈な足さばきと革新的スタイル、世界を魅了した軌跡と名演を紹介。
カルメン・アマヤ(1913年11月2日 - 1963年11月19日)は、スペインのバルセロナのスラム街ソモロストロで生まれたジプシー出身のフラメンコダンサー、歌手である。類稀なリズム感と強烈な表現力で、20世紀のフラメンコを象徴する人物の一人と評される。
彼女は「同世代で最も偉大なスペインのジプシーダンサー」と称される一方で、「フラメンコダンスの中で最も異質な人物」とも評されてきた。その舞台上での存在感は、観客や同業者に強い印象を残した。
生い立ちと初期の活動
アマヤは幼少期から踊りと音楽に親しんだ。4歳ごろにはすでにダンスを始め、父親のギターに伴われてバルセロナのウォーターフロントのバーや路上で踊っていたと伝えられる。若い頃の彼女の踊りを見たのが、後に名を馳せるギタリスト、サビカス(アグスティン・カステロン・カンポス)であった。サビカスはアマヤの踊りを「超自然的に感じられた」と語り、以降長年にわたって彼女を支持し、共演や録音でも協力した。
国際的な成功
1929年にパリで本格的にデビューすると、瞬く間に注目を集め、その大胆で技巧的な踊りぶりは高い評価を得た。1936年には渡米し、映画や舞台で活躍。映画では『ロス・タラントス』(短編の『ダンサス・ジタナス』を含む)や、『ロミオとジュリエット』の映画化作品への参加などを通じて、米国でも知名度を高めた。舞台・映画活動は興行的にも成功を収め、世界各地で公演を行った。
舞踊スタイルと革新性
アマヤの特徴の一つは、女性ダンサーに伝統的なスカートの重ね履きではなく、しばしばズボンを履いて踊ったことである。これは単に衣装の好みだけでなく、彼女のフットワーク(サパテアード)が極めて激しく、男性ダンサーのような広い動きを見せるために合理的であったとの見方がある。力強い足裁きと即興性のあるリズム処理は、当時の観衆に強烈な印象を与え、以後のダンス表現にも影響を残した。
一方で、批評家の中には「彼女の踊りには反復性が見られる」と指摘する者もいた。ある著名な同業者、Antonio Ruiz Solerは「カルメンは素晴らしいダンサーだったが、限界があった」と評している。しかしその欠点とされる点も、観客にとっては特徴的な様式美として受け取られることが多く、総じて彼女の芸術性は高く評価されている。
録音・映画
アマヤは舞台だけでなく、録音や映画にも積極的に参画した。サビカスと共に録音した『ジプシーの女王』(1959年)や『フラメンコ!』などのレコーディングは、彼女の舞踊と歌の魅力を音源として残した重要な作品である。また、多くの短編や長編映画に出演し、映像資料としてもその踊りを見ることができる。
公的場での栄誉と晩年
1944年にはフランクリン・ルーズベルトに招かれてホワイトハウスで踊り、その後も1953年にハリー・S・トルーマンに招かれるなど、アマヤは国際的に高い評価を受けた。晩年も世界各地で公演を続け、1963年に亡くなった。
死後の評価と遺産
アマヤの死後も、その影響力は色あせることなく、後進のダンサーや振付家に多大な影響を与え続けている。強烈な個性と身体表現、リズム感によってフラメンコの可能性を広げた点は、現代のフラメンコ研究や舞踊教育でもしばしば言及される。回顧展や映像資料、教育プログラムを通じて、その業績は今も紹介され続けている。
アマヤはバルセロナのモンジュイックにあるセメンティリ・デル・スッド・オエストに埋葬されている。彼女の生涯と舞台は、フラメンコ史における重要な章として記憶されている。
ジョアン・ブロッサ広場のアマヤの像、バルセロナ
質問と回答
Q: カルメン・アマヤとは誰ですか?
A: カルメン・アマヤは、スペイン・バルセロナのスラム街ソモロストロで生まれたジプシー出身のフラメンコダンサーであり歌手です。彼女は「同世代のスペイン人ジプシーダンサーの中で最も偉大な人物」、「フラメンコダンス界で最も人目を引く人物」と呼ばれています。
Q: 彼女はいつから踊り始めたのですか?
A: 4歳のときから踊っています。
Q: ギターは誰が弾いていたのですか?
A: 彼女がバルセロナの水上バーで踊っていたとき、父親がギターで伴奏していました。少女時代の彼女の踊りを見ていた若い人が、スペインのギタリスト、サビーカス(Agustín Castellón Campos)です。彼は後にアマヤと『ジプシーの女王』(1959年)、『フラメンコ!』を録音しています。
Q:彼女のデビュー公演はどこで行われたのですか?
A: 1929年、パリでデビューし、その踊りの巧みさに賞賛の声が上がりました。
Q:どんな映画に出演したのですか?
A:1936年にアメリカに渡り、ロミオとジュリエットの映画化『ロス・タラントス』や短編映画『ジプシーの踊り』など、興行記録を塗り替える映画に出演しています。
Q:アマヤはなぜスカートではなくズボンを履いて踊ることが多かったのでしょうか?
A: 一説によると、彼女はスカートの代わりにズボンを履いて、並外れた、むしろフラメンコの男性ダンサーに似たフットワークに幅を持たせたのだそうです。初期のフラメンコでは、女性はあまりフットワークをしなかったので、男性ダンサーは舞台袖の椅子に座ったまま見えないところでステップを埋めていたようです。
Q: ルーズベルト大統領はアマヤを何度ホワイトハウスに招いたのですか?
A:ルーズベルト大統領は、1944年と1953年の2回、アマヤをホワイトハウスに招待しています。
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