フランス王シャルル5世(賢明王)― フランス王、1364年~1380年
「賢明王」と呼ばれたシャルル5世(1338年~1380年)は、百年戦争下で王権を再建し、イングランドに失った領土を回復するとともに、行政改革と学問・統治術の振興を進めた。
シャルル5世(1338年1月21日-1380年9月16日)は、「賢明王」の異名で知られるヴァロワ家の一員であり、1364年から死去までフランス王として統治した。ヴァンセンヌで、ジャン2世とルクセンブルクのボンヌの子として生まれた。父王がポワティエの戦いで捕虜となった後、シャルルは初めて統治の責任を担った。その治世は、百年戦争として知られるイングランドとの長期的な抗争において、フランスにとっての転換点と広く評価されている。
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7 画像初期の統治と即位
1356年以後、国王がイングランドで捕虜となっていた間、シャルルは王国を統治し、軍事的敗北と政治的混乱のなかで王権の維持に努めた。1364年に国王となると、財政の立て直し、地方における秩序の回復、そして戦争初期の局面と国内の混乱で弱体化していた統治機構の再建に力を注いだ。
軍事政策と領土回復
シャルルはイングランドの勢力に対して慎重な戦略を採った。決戦的な会戦を求めるのではなく、その軍勢は包囲戦、消耗戦、そして有能な指揮官の働きに依拠し、ブレティニー条約によってイングランドへ割譲されていた領土の回復を図った。在位中には、以前イングランド王権に失われた多くの地域が、軍事行動と交渉による合意を通じてフランスの支配下へ復帰し、世紀半ばの敗北がもたらした最悪の結果の一部は覆された。
行政・財政・文化
国内では、財政管理を再編し、租税を徴収して王領を監督する官吏の専門性を高めることで、王室行政を強化した。学問と書籍の収集を奨励し、貴重な王室図書館を築くとともに、書記や文人を支援した。こうした文化的・官僚制上の取り組みは、政府収入の安定化と王権への信頼の回復に寄与した。
主な施策と特筆すべき事実
- ポワティエで国王が捕らえられた後、正式な即位に先立って事実上の統治者を務めた。
- 野戦よりも包囲戦と消耗戦を重視する、慎重かつ実際的な軍事政策を進めた。
- 統治の改善を目的に財政慣行を改革し、中央行政を強化した。
- 学問を保護し、王室コレクションの中核となる写本を収集した。
シャルル5世の「賢明王」という異名は、その慎重さ、節度ある政策、行政手腕についての同時代および後世の評価を反映している。1380年に死去し、王位はその子が継いだ。歴史家はしばしば、シャルル5世による着実な王権の強化を、その後に続いた混乱の治世と対比する。彼の事業は、百年戦争後期におけるフランスの国運回復の重要な基盤を築いた。その治世は、一世代にわたる危機の後の再建と統合の時代として記憶されている。
シャルル5世に関係する出来事や場所については、次の資料も参照:王権、王朝的背景、出生地、親子関係、王家、ポワティエ、より広い戦争、条約。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com フランス王シャルル5世(賢明王)― フランス王、1364年~1380年 Leandro Alegsa
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