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デマラトス(スパルタ王)

デマラトスは、紀元前5世紀初頭のスパルタのエウリュポン家王。政争の末に廃位され、亡命後はペルシア王の庇護下でクセルクセスに助言した。

概要

デマラトス(Δημάρατος)は、およそ紀元前515年から紀元前491年まで在位したスパルタの王である。エウリュポン家の王統に属し、スパルタの二王制のもと、アギアス家の王クレオメネス1世と並んで統治した。その治世は、激しい政争の後に突如として終わったこと、またその後ペルシア宮廷へ亡命し、ペルシアのギリシア遠征を伝える史料に登場することで最もよく知られている。

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背景と王位

スパルタの政治体制には、別々の家系から出る二人の世襲王が存在した。デマラトスは父アリストンの死後、エウリュポン家の王位を継承し、スパルタ君主に期待された宗教上および軍事上の職務を担った。しかし、その権限はエフォロイ(監督官)などの制度や二王制そのものによる制約を受けていた。この仕組みは協力を可能にする一方で、対立を生むこともあった。

対立と廃位

紀元前490年代、デマラトスは同僚の王クレオメネス1世との激しい個人的・政治的対立に巻き込まれた。現存するギリシアの歴史家たちによれば、クレオメネスはデマラトスを別の王位請求者レオテュキデスに交代させようとし、そのための法的・宗教的工作を進めた。決定的な展開として、デルポイの神託所はデマラトスの正統性を否定する宣告を出すよう説得された。史料はこれを独立した司法的手続きの結果ではなく、政治的操作の結果として描写している。この神託によってデマラトスは王位を失い、その後しばらくは公職の政務官として活動したのち、スパルタを去った。

亡命とペルシアへの奉仕

失脚後、デマラトスは亡命した。彼はギリシア内部に避難先を求めるのではなく、ペルシア王家に仕える道を選んだ。ペルシア王ダレイオス1世は、彼を名誉ある客として迎え、小アジアに土地と収入を与えたと伝えられる。この新たな立場でデマラトスはペルシア宮廷の被保護者として行動し、ギリシアの事情に関する情報を提供するとともに、ギリシア語を話す共同体とのペルシアの交渉に正統性を添えうる人物となった。

ペルシア戦争における役割

クセルクセス1世が紀元前480年にギリシア本土への大規模な侵攻を指揮した際、デマラトスは遠征に同行した。古典期の記録によれば、彼はテルモピュライでの戦いに先立ち、スパルタ人の規律と決意を過小評価しないようクセルクセスに警告した。物語史料では、ペルシアの指揮官たちに助言を与え、ギリシア人の気質を説明する人物として登場する。その存在は、政治的亡命者が敵対する勢力間の仲介者となりえたことを示している。

歴史的評価と史料

デマラトスについて知られる事柄の大半は、後代のギリシア歴史家、とりわけ口承、公式記録、道徳的な物語を組み合わせたヘロドトスに由来する。現存する叙述には政治的陰謀、宗教的権威、個人的対立が混じり合うため、現代の研究者は一部の細部を慎重に扱っている。それでも、王、廃位された君主、外国の被保護者というデマラトスの経歴は、古風期から古典期初頭のギリシア世界において、エリート層の対立、宗教、国際政治がいかに交差したかを示す重要な例である。

主要な出来事

  • スパルタのエウリュポン家王として即位(紀元前515年頃)。
  • 共同統治者クレオメネス1世との対立が激化し、廃位に至る(紀元前491年)。
  • デルポイの神託所が争いとその結末に関与。
  • ペルシアへの亡命、ダレイオス1世による受け入れ、都市と収入の付与。
  • クセルクセスのギリシア遠征に参加し、テルモピュライ以前に警告を行う(紀元前480年)。

詳しくは、スパルタおよびペルシア戦争の概説を参照されたい。史料には古典期の叙述と、デマラトスの物語に関わる政治・宗教制度を検討する近現代の研究がある。関連項目として、スパルタの二王制(共同統治)、都市国家スパルタ、公的生活におけるデルポイのような神託所の役割が挙げられる。廃位後に一時的に担った公的役割は政務官職と表現されることがあり、亡命後にはペルシアから与えられた土地と都市(都市)へ至った。のちに彼はクセルクセスの遠征(クセルクセスの侵攻)に加わり、ギリシアに対する戦いで、テルモピュライの戦闘前に王へ助言した。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com デマラトス(スパルタ王)

URL: https://ja.alegsaonline.com/art/26462

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