ヤラ選挙区は、オーストラリアのビクトリア州にあった選挙区(連邦下院選挙区)である。メルボルンの東部郊外に位置し、名称はヤラ川に由来する。当初はアボッツフォード、コリングウッド、リッチモンド、フィッツロイの各一部を含む選挙区として設定された。ヤラは、1901年の第1回連邦選挙で設定された75の選挙区の一つとして創設され、1901年から1969年まで存続したが、1969年の選挙区再編(リディストリビューション)で廃止された。

境界の変遷

創設当初は内郊の工業地域や労働者住宅地を多く抱えていたが、人口変動や市街地の拡大に伴って境界が何度か変更された。1960年代にはアボッツフォードやフィッツロイの一部が選挙区から外れ、その代わりにバーンリー(Burnley)やホーソーン(Hawthorn)など東側の地域が含まれるようになった。このような境界変更は、有権者数の均衡をとるための定期的な再編の一環であった。

政治的傾向と役割

ヤラ選挙区は歴史的に工業化された内郊地域を抱えていたため、労働者階級の支持が強く、オーストラリア労働党(ALP)の牙城となることが多かった。長年にわたり党の有力な地盤として機能し、党内の指導者や閣僚を輩出するなど、連邦政治においても一定の影響力を持った。

廃止とその後の遺産

1969年の選挙区再編でヤラは廃止され、その領域は周辺の他選挙区に振り分けられた。廃止の背景には、メルボルン都市圏の人口移動や住宅開発による有権者構成の変化があり、選挙区の均衡を保つための措置が取られたものである。ヤラの存在は、オーストラリア連邦創設期から中期にかけての都市内務や労働者政治の歴史を考えるうえで重要な典型例となっている。

  • 創設:1901年(第1回連邦選挙の際に設置)
  • 所在地:メルボルン東部郊外(ヤラ川流域)
  • 主要地域:アボッツフォード、コリングウッド、リッチモンド、フィッツロイ(当初)→ 1960年代にはバーンリー、ホーソーンなどを含む
  • 廃止:1969年(選挙区再編による)
  • 政治的特徴:労働党支持基盤、工業・労働者階級の強い影響