フランツ・ゼルテ(1882年6月29日 - 1947年4月1日)は、ドイツの退役軍人組織家であり政治家だった。マクデブルクで生まれ、第一次世界大戦後の退役軍人運動における共同創設者かつ有力人物として、また後にはナチス体制下の政府大臣として広く知られるようになった。第三帝国の崩壊後、フュルトで死去した。

シュタールヘルムの創設

ゼルテは、1918年以後に成立した元前線兵士の大規模な組織、シュタールヘルム(Stahlhelm, Bund der Frontsoldaten)の設立に関わった。この団体は、退役軍人への社会的支援に加え、民族主義的政治、準軍事的訓練、公開デモを組み合わせていた。ヴァイマル政治では保守的で反共産主義の勢力として目立った役割を果たし、のちには台頭する国家社会主義運動に歩調を合わせる組織となった。

政治経歴と大臣職

当初は退役軍人のネットワークや保守連合で活動していたが、ゼルテは最終的にアドルフ・ヒトラー政権に協力した。彼は国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)に加入し、ナチス内閣で大臣職に任命された。政権初期には、その職務を通じて国家の政治指導層に加わることになった(大臣)。彼の政府内での役割は、保守的・民族主義的な多くの集団が第三帝国の制度へ取り込まれていったことを示している。

特徴と行動

ゼルテの下でのシュタールヘルムには、次のような特徴があった。

  • 第一次世界大戦の退役軍人と支持者から成る構成。
  • 軍事的規律、制服、パレードを重視。
  • ヴァイマル共和国に反対する政治活動を行い、のちにはナチス当局と協力。

ゼルテの指導は、組織運営の手腕と、便宜的な同盟形成を組み合わせたものであり、それが1930年代のより広い民族主義運動へのシュタールヘルムの統合を促した。

晩年と歴史的評価

1933年以後、退役軍人団体の独立した影響力は、ナチスの諸制度に吸収されるにつれて低下した。ゼルテはドイツ敗戦まで体制に関わり続けた。戦後には公職から外され、第三帝国の多くの官僚に共通する結果に直面した。彼は1947年に死去した。歴史家は、彼をナチズムを支持または受け入れ、既存の社会的ネットワークを通じてその正当化に加担した保守民族主義者の一例とみなしている。

ゼルテに関わる組織や政治的背景については、シュタールヘルムや二つの世界大戦の間のドイツ政治史の項も参照されたい。シュタールヘルム概説