定義と特徴
海洋無酸素事象(OAE)は、海の表層から深海にかけての溶存酸素(O2)が著しく減少し、ある深度より下で酸素がほぼ枯渇する現象です。本文中の表現にあるように、無酸素の進行が海洋全体に及ぶ場合は「大洋性無酸素事象」と呼ばれ、局所的・深海限定の場合は「深海性無酸素事象」と呼ばれます。酸素が枯渇すると、好気性生物が影響を受け、酸素呼吸ができない環境では還元的(無酸素)な化学プロセスが優勢になります。
発生メカニズム(原因)
無酸素事象は単一の原因ではなく、複数の要因が重なって発生すると考えられています。主な要因は次のとおりです。
- 海洋の分層化:表層と深層の水塊が混合しにくくなると、深層水への酸素供給が途絶え、深部が無酸素化しやすくなります。気候温暖化に伴う表層の温度上昇や淡水入力増加が分層化を強めます。
- 富栄養化(栄養塩の過剰供給):陸域からのリンや窒素の流入や海洋生産力の増大により、表層での有機物生産が増えると沈降する有機物の分解により深部の酸素が消費されます。
- 火成活動と温室効果ガス放出:大規模な火山活動(大規模火成作用帯=LIP)が大量のCO2やメタンを放出し、全球的な温暖化・海洋化学の変化を引き起こすことで無酸素化を促進します。
- 海面変動と水循環の変化:海面上昇や海流の変化が海洋循環を変え、深層への換気が減少することがあります。
- 有毒な硫化水素(euxinia)の発生:極端に還元的な状態になると、硫酸還元によりH2S(硫化水素)が生成されることがあります(この状態をeuxiniaと呼びます)。硫化水素は生物に強い毒性を持ち、生態系に深刻な影響を与えます。
地質学的記録とブラックシェール
無酸素事象は地層に有機物に富む堆積物、いわゆるブラックシェールとして記録されます。ブラックシェールは有機炭素含有量が高く、良好な油母岩(原油・ガスの元)を形成することが多いです。さらに、無酸素環境下ではモリブデンやウランなどのトレース金属が集積しやすく、これらの元素濃化や炭素同位体の大きな変動(δ13Cシフト)はOAEの指標として利用されます。
影響:生態系・化学的証拠・大量絶滅との関係
生物学的影響:底生生物の大量死、魚類の遊泳域の縮小、海洋食物網の崩壊などが起こります。特に広範囲かつ長期間の無酸素化やeuxiniaは大規模な生物層の崩壊を招き、大量絶滅と関連付けられる場合があります。
地球化学的・堆積学的証拠:炭素同位体異常、硫黄同位体の変化、光合成色素由来のバイオマーカー(例:isorenierataneなど、光合成色素を持つ嫌気性緑色硫黄細菌の痕跡)やトレース金属の濃縮がOAEの存在を示します。
古生代末のペルミ紀末に起きた大絶滅(ペルム紀-三畳紀境界)は、広範囲な無酸素化や硫化水素の拡大と関連付けられる強力な例です。また、中生代のいくつかの期間(例:白亜紀中期のOAE2、ジュラ紀のトアシアンOAEなど)にも顕著な無酸素事象が記録されており、これらは堆積学的・化学的指標で識別されます。
継続期間と回復
無酸素事象の持続期間はケースによりますが、地質記録からは数万年から数十万年、長い場合は数百万年に及ぶことがあります。一般に、回復は大気・海洋の再循環、気候の冷却、栄養塩供給の減少などが組み合わさって進み、完全な再酸素化までに数万〜数十万年(一般に50万年以下とされることが多い)を要することが多いと報告されています。
現代の「死域」と教訓
今日でも、局地的に無酸素的または低酸素的な条件が見られる場所があります。本文中に挙げられている例は次の通りです:米国東海岸のチェサピーク湾、スカンジナビア海峡カテガット、黒海、北部のアドリア海、およびメキシコ湾沿岸の沿岸域(ルイジアナ沖に代表される)などです。これらは主に陸域からの栄養塩負荷や水循環の変化、季節的な分層といった要因で発生する「死域(hypoxic/dead zones)」であり、局所的な生態系サービスや漁業に深刻な影響を及ぼしています。
まとめ(要点)
- 海洋無酸素事象(OAE)は、海洋の酸素供給が大幅に低下して酸素が枯渇する現象であり、地質学的に何度も記録されています。
- 原因は海洋分層化、富栄養化、温室効果ガス放出、海洋循環の変化など複合的です。極端な場合は硫化水素の発生(euxinia)を伴い、生物に致命的な影響を与えます。
- ブラックシェールや同位体シグナル、トレース金属やバイオマーカーなどが、過去のOAEを示す重要な証拠です。
- OAEは大量絶滅と関連することがあり、現代の局所的な死域はその小規模モデルと捉えることができます。人為的な栄養塩流入や気候変動がこれらのリスクを増大させるため、現代の海洋管理は重要です。