ジョセフ・ジャック・オメル"蛇のジェイク"プランテ(Joseph Jacques Omer "Jake the Snake" Plante、1929年1月17日 - 1986年2月27日)は、カナダのプロアイスホッケーゴールテンダーで、NHL史上でもっとも影響力のある選手の一人です。ケベック州ショーウィニガンフォールズで育ち、幼少期の1932年にホッケーを始めました。プランテは12歳から組織的なホッケーに参加し、18歳でプロデビューを果たしました。
NHLでの経歴
プランテは1953年から1963年までモントリオール・カナディアンズで主力ゴールテンダーとして活躍し、この間チームは5連覇を含む6度のスタンレーカップ優勝を果たしました。現代的なゴールテンダー像を確立した存在であり、卓越したポジショニングと冷静なプレーで知られました。
1965年に一度引退しましたが、1968年にNHL復帰を果たし、セントルイス・ブルースでプレーしました。その後1970年にトロント・メープルリーフスへトレードされ、1973年にはボストン・ブルーインズに移籍しました。さらに世界ホッケー協会(WHA)にも参加し、最初はケベック・ノルディックのコーチ兼ゼネラルマネージャーとして1973–74シーズンに関わり、続いて1974–75シーズンにはエドモントン・オイラーズでゴールテンダーとしてプレーしました。1975–76年のトレーニングキャンプを最後に現役から完全に引退しました。
革新とプレースタイル
プランテはアイスホッケー界で最も重要な発明家の一人と見なされています。とりわけ、試合中に常にゴールマスクを着用する初めてのNHLゴールテンダーとして知られています。1959年11月1日の試合で顔面を負傷した後、彼は自作のファイバーグラス製マスクを着用して試合に復帰し、その後マスク着用を定着させました。当初は批判もありましたが、やがて安全性と実用性が認められ、ゴールテンダー装備の標準となりました。
プランテは単なる保護具の導入にとどまらず、マスクの形状や装着法、顔面保護の改良にも積極的に取り組み、複数のバージョンを製作・テストしました。後のゴールマスクやヘルメットとの組み合わせにつながる設計上の工夫を行い、職人や技術者と協力して進化させていきました。
また、プランテはゴールキーパーロールの拡張者でもありました。彼は積極的にクレーズの外でパックを扱ってディフェンスを助けるプレーを行い、ゴール前だけでなくゲーム全体を見渡してチームメイトに戦術的指示を出すことが多かったため、今日の「パック処理ができる」ゴールテンダー像の先駆けとなりました。
栄誉と遺産
プランテは現役生活で多数の個人賞や選出を受け、引退後もその功績が高く評価されました。1978年にはホッケー殿堂入りを果たし、1985年にはモントリオール・カナディアンズの「ドリームチーム」のゴールテンダーに選ばれました。1994年にはケベックスポーツパンテオンに殿堂入りし、1995年にはモントリオール・カナディアンズが彼の背番号1番を永久欠番にしました。
私生活と晩年
プランテは11人兄弟の長男として生まれ、1949年にジャクリーヌ・ガニェと結婚し、ミシェルとリシャールの2人の息子をもうけました。後に2度目の伴侶とともにスイスへ移住し、晩年はジュネーブを拠点に過ごしました。1986年2月27日、治療が難しい胃がんと診断された直後にジュネーブで死去し、現地で埋葬されました。
ジャック・プランテは単に優れた成績を残しただけでなく、機器やプレースタイルにおける革新を通じてホッケーのあり方を変えた人物として、今日も多くのゴールテンダーやファンに尊敬されています。