ジェームズ・ミッチェナー:代表作『ハワイ』『南太平洋物語』と生涯
ジェームズ・ミッチェナーの波乱の生涯と代表作『ハワイ』『南太平洋物語』を詳述—出生の謎、戦時体験、名作誕生の背景と受賞歴を一挙紹介。
ジェームズ・アルバート・ミッチェナー(James Albert Michener、1907年2月3日 - 1997年10月16日)は、アメリカの作家で、国や地域の歴史を舞台にした長大な歴史小説で知られます。代表作には『南太平洋物語』『ハワイ』『ドリフターズ』(邦題『漂流者たち』)『テキサス』『ポーランド』などがあり、約40冊に及ぶ著作の多くが一つの場所を舞台にした何世代にもわたる物語(大河サーガ)です。ノンフィクションも手がけ、1992年の回想録『The World Is My Home』や文化・スポーツに関する著作『Sports in America』などがあります。
自身の出自については複雑な経緯があり、ミッチェナーは生い立ちについて「正確な出生の記録や両親について確信がない」と述べています。幼少期はペンシルバニア州ドイルスタウンで養母のメイベル・ミチェナーに育てられたと伝えられています。学歴ではスワースモア大学(Swarthmore College)を1929年に卒業し、大学時代にはバスケットボールにも親しみました。その後はコロラド州立ティーチャーズ・カレッジ(現在の名称で言えばノーザン・コロラド大学)で学び、教育者として数年間教壇に立ちました。晩年にはハーバード大学などでも教える機会がありました。
ミッチェナーの本格的な執筆活動は第二次世界大戦中に始まります。彼は海軍の史家として南太平洋に派遣され、そこでの体験をもとにした短編集『南太平洋物語』(原題:Tales of the South Pacific)が作られ、この作品は1948年にピューリッツァー賞(フィクション部門)を受賞しました。さらにこの作品はロジャース&ハマースタインによるミュージカルに翻案され、舞台・映画ともに大きな反響を呼びました(ミュージカル「南太平洋」の基礎となった)。
戦後の日本滞在を題材にした長編『サヨナラ』(原題:Sayonara)など、異文化の出会いや人種・文化の問題を扱った作品も多く発表しました。滞在中に出会った日本人女性、マリ・サブサワ(Mari Sabusawa)とは後に結婚し、彼女は夫の作品の編集や支援に関わることになりました。『サヨナラ』は自身の体験や観察を反映した面もあり、同作も映画化されて広く知られるようになりました。
作風としては、徹底した取材と歴史的背景の調査に基づく叙述、大規模な時間軸で描く世代交代の物語、地域の地理・文化・経済を詳細に描く「場所」を重視する筆致が特徴です。フィクションとノンフィクションの境界を行き来しながら、読者にその土地の長い歴史と人々の営みを体感させる作家として評価されました。
受賞・栄誉としては、前述のピューリッツァー賞のほか、1977年1月10日にジェラルド・R・フォード大統領から大統領自由勲章を授与されています。教育・文化支援や図書館・奨学金への寄付など慈善活動にも力を入れ、作家としてだけでなく社会貢献者としても知られました。
晩年はテキサス州オースティンに暮らし、1997年10月16日に腎不全のため90歳で亡くなりました。生涯を通じて地域史を大河的に描く作品群は、多くの読者に歴史や文化への関心を喚起し、翻訳や映像化を通して世界的な影響を与え続けています。
ジェームズ・A・ミチネル
ジェームズ・A・ミシェナーの本
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- アンダウの橋
- 東光里の橋
- キャラバン
- カリブ
- センテニアル
- ソネットの世紀
- チェサピーク
- コレクター、贋作者 - そして作家。回顧録
- 聖約
- 王国の生き物
- ドリフターズ
- 鷲と鴉
- 春の火
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- ケント州何が起こったのか、なぜ起こったのか
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