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ジョン・ド・メンティース卿(1275年ごろ–1323年ごろ)

スコットランド独立戦争期の貴族。1305年のウィリアム・ウォレス逮捕との関わりで知られ、1320年のアーブロース宣言にも署名した。史実と伝説が重なる人物。

概要

ジョン・ド・メンティース卿は、スコットランド独立戦争の初期段階に活躍したスコットランドの有力貴族である。1275年ごろに生まれ、1320年代初頭に没したとされ、メンティース地方に所領を持ち、13世紀末から14世紀初頭にかけてのスコットランドで複雑に揺れ動く地方政治と国家政治に関わった。同時代史料では、スコットランド側の利害とイングランド権力のあいだで立場を調整した複数の貴族の一人として扱われている。

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ウィリアム・ウォレスの捕縛

ジョン・ド・メンティースが広く知られているのは、1305年のウィリアム・ウォレス逮捕に関わったという伝承による。後世の物語では、ウォレスはグラスゴー近郊のロブロイストンで捕らえられ、イングランド側に引き渡されたとされ、この引き渡しをメンティースの行為として語るのが通例である。この出来事はスコットランドの大衆文化では裏切りとして描かれることが多く、歌謡や年代記では彼に「偽りのメンティース」というあだ名が付けられた。もっとも現代の歴史家は、当時の政治・軍事状況は複雑であり、囚人を引き渡した者は個人的な背信というより、命令、地域的圧力、あるいは法的義務の下で行動した可能性を指摘している。当時の見方については捕縛の記録を参照。

政治活動とアーブロース宣言

ウォレス逮捕との結びつきにもかかわらず、ジョン・ド・メンティースはのちにスコットランドの独立を支持した貴族たちの中に名を連ねる。1320年のアーブロース宣言、すなわちスコットランドの独立とロバート・ザ・ブルースの統治の正統性を教皇に訴えた著名な書簡に、署名者または封印者として記録されているのである。この参加は、戦争期における忠誠の流動性を示し、メンティースが自らの階層に共通する政治的慣行の範囲内で行動していたことをうかがわせる。追加の史料的背景としてはアーブロースに関する史料や、スコットランド貴族のネットワーク研究(貴族家系の背景)が参考になる。

評価と文化的遺産

ジョン・ド・メンティースの評価は、豊富な文書史料よりも、文学と愛国史によって形づくられてきた。中世から近世にかけての詩人たち、とりわけウォレスを叙事詩的に扱った作品の作者たちは、裏切りの主題を強調して、印象的な道徳物語へと仕立て上げた。一方で行政記録を見ると、彼は土地を持つ貴族として、職務上の通常の義務を果たし、地域の実権を握る勢力に応じて協力していたことがわかる。文書上の記録と文学上の像との対照は、歴史と伝説がどのように交錯するかを考えるうえで、メンティースを格好の事例としている。

注目すべき点

  • おおよその生没年は1275年ごろ–1323年ごろで、正確な日付は不明である。
  • 1305年のウィリアム・ウォレス捕縛に関わったとされ、その後の名声に大きく影響した。
  • 1320年のアーブロース宣言に印を加えた人物の一人として記録され、スコットランドの独立主張に参加したことを示している。
  • 法的記録と大衆的な歌謡のあいだで異なる形で記憶されており、史料と国民神話の隔たりをよく示している。

ジョン・ド・メンティースは、法、戦争、評判が交差する位置に生きた人物として、中世スコットランド史の研究者にとって今なお関心の対象である。彼の物語は、激動の時代における個々の行動が、何世紀にもわたってまったく異なる物語へと読み替えられうることを示している。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com ジョン・ド・メンティース卿(1275年ごろ–1323年ごろ)

URL: https://ja.alegsaonline.com/art/50608

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