ジョセフ・エッグルストン・ジョンストン(1807年2月3日 – 1891年3月21日)は、アメリカ合衆国の職業軍人で、南北戦争においてアメリカ連合国陸軍の高位指揮官の一人となった。アメリカ陸軍士官学校で訓練を受け、前線勤務や米墨戦争の実戦経験を積んだジョンストンは、慎重な作戦運用、南軍の文民指導部とのたびたびの対立、そして1865年4月に最後の野戦軍の一つを降伏させたことで記憶されている。

生い立ちと戦前の勤務

1807年にバージニアで生まれたジョンストンは、1829年にウェストポイントを卒業し、その後数十年にわたって正規のアメリカ陸軍将校として勤務した。初期の経歴には第二次セミノール戦争での任務と、実戦で評価を得て複数回負傷した米墨戦争への従軍が含まれる。1861年までに彼は、歩兵戦術、補給、参謀業務に広い経験を持つベテランの野戦将校となっていた。

南北戦争での指揮と主要戦闘

南部諸州が離脱すると、ジョンストンはアメリカ陸軍の任務を辞し、南軍の任官を受けた。彼は東部戦線と西部戦線の双方で大きな指揮を担った。戦争初期には北部バージニアを防衛する南軍を率い、七松の戦いで重傷を負った後、その戦域の指揮は別の将軍に引き継がれた。戦力を温存することを意図した慎重な機動と撤退の姿勢は、称賛と批判の両方を招いた。

  • 彼は南軍の高位指揮官として南軍の軍隊を率い、広い意味でのアメリカ南北戦争において重要な役割を果たした。
  • ジョンストンは初期戦役で、後に北バージニア軍となる部隊の一部を指揮し、七松の戦いで負傷するまで前線を担った。
  • のちに彼はテネシー軍を率い、1864年のアトランタ方面作戦で、北軍の進撃に対して領土を時間と引き換えにした。

アトランタ方面作戦、解任、最後の野戦指揮

1864年、ジョンストンはウィリアム・T・シャーマン少将率いる大規模な北軍がアトランタへ進むのに対処した。彼の防御的撤退はシャーマンの進軍を遅らせたが、北軍の結束と補給線は維持され、そのためより攻勢的な行動を望んだ南軍大統領ジェファーソン・デイヴィスらの批判を招いた。1864年7月、ジョンストンは解任され後任に交代した。彼は1865年3月、カロライナ方面での南軍最後の作戦のさなかに一時的に現場指揮へ復帰した。最後の大きな行動はベントンヴィルの戦いと、その後に続く交渉であり、そこで彼は1865年4月に残存する南軍を降伏させた。

晩年と評価

戦後、ジョンストンは再統合された合衆国で暮らし、軍の指揮から離れた晩年を過ごした。彼は実業に携わり、時おり公的な役目を引き受け、南軍の戦略を論じる歴史家たちの研究対象であり続けた。慎重さと大胆さをめぐる気質や判断への論争は、彼の経歴評価に長く影響を与えている。彼は1891年、ワシントンD.C.で死去した。

注目すべき事実と特徴

  1. ジョンストンは南軍に加わる前から正規陸軍の職業軍人であり、以前のアメリカの戦争にも従軍していた。
  2. 彼は戦前の諸戦役と南北戦争の七松の戦いで複数回負傷した。
  3. 地勢を譲ってでも時間を稼ぎ、兵力を温存しようとする傾向は、攻勢を重んじる同時代人と対照的であり、歴史家の間で長く議論の的となっている。

さらに詳しく知るには、専門的な伝記や南北戦争の書簡・命令集を参照するとよい。信頼できる概説は、軍事史の参考資料や文書館コレクションでも得られる。オンラインおよび文書館の資料例としては、標準的な軍事アーカイブや歴史協会の संग्रहがある(文書館の概説南北戦争コレクション陸軍史、戦闘報告、戦役研究、作戦分析)。