ガリシア王国とは|中世イベリア北西の歴史・成立と首都(409–1230年)
中世イベリア北西を彩ったガリシア王国の成立から首都コンポステーラまでを409–1230年の歴史で紐解く決定版記事。
ガリシア王国(Galician:ガリシア語 Reino de Galicia(または Galiza)、スペイン語:Reino de Galicia、ポルトガル語:Reino da Galiza、ラテン語:Galliciense Regnum)は、イベリア半島北西部(現在のガリシア州および北ポルトガルの一部)を中核として成立した中世の政治的実体である。成立年は伝統的に西ローマ帝国崩壊直後の409年にさかのぼり、1230年の王朝統合以降は大きな独立性を失っていったが、地域の歴史と文化に強い影響を残した。
成立と初期(409–585)
409年、ゲルマン系部族のひとつスウェービ(Suebi)が北西イベリアに進出して定着し、ローマ後の地域で最初期かつ継続的な王国の一つであるスウェービ王国(しばしば「ガリシア王国」と同一視される)を打ち立てた。初期の首都は古代ローマ都市ブラガ(Bracara, 現在のブラガ)であり、そこを拠点に周辺のガリアエキア(Gallaecia)地域を支配した。スウェービ王国は独自の王権と教会組織を整え、ラテン語を基盤とする文化が基礎をなした。
西ゴート支配と回復(585–711)
6世紀末、第6代西ゴート王レオヴィギルドなどの時代にスウェービ王国は圧迫され、最終的に585年に西ゴート王国に併合された。以後しばらくのあいだガリシアは西ゴート王国の一地方となるが、8世紀以降のイスラム勢力の進出によって半島南部が分断されると、北西部のキリスト教勢力は再編されていった。
アストゥリアス・レオン時代と地域王権(8–11世紀)
711年のイスラム征服以降、北部のキリスト教ポケットから生まれたアストゥリアス王国が次第に勢力を回復・拡大し、やがてレオン王国へと変容していく。ガリシアはこの一連の北方王国の一部となり、時には独自の王(またはガリシア王号を与えられた王子)によって統治されることもあった。領域的にはイベリア北西端を占め、沿岸交易や農業が経済を支えた。
コンポステーラの台頭と中世国としての役割(11世紀)
コンポステーラ(Santiago de Compostela)は、聖ヤコブ(サンティアゴ)の遺骸の伝承と巡礼路(カミーノ・デ・サンティアゴ)を契機に11世紀に宗教的・文化的中心地として急成長し、11世紀に事実上の首都的地位を確立した。聖地としての重要性は王権の正統性や地域の国際的なつながり(巡礼者の流入、教会の影響力)を高め、ガリシアの中世的特性を形成した。
ポルトガル独立と国境の確立(12世紀)
12世紀に入り、北西イベリアの勢力図はさらに変化する。1128年の内紛・分裂を経て誕生したポルトガル王国の独立(事実上の出発点は1128年〈サン・マメデの戦い〉、後に正式独立を宣言)によって、ガリシアの南方に恒常的な国境が形成された。この結果、ガリシアは地理的にイベリア半島北西端の領域として固まっていった。
カスティーリャ王家の支配下へ(1230)
1230年、カスティーリャ王フェルディナンド3世がレオン王国の王位を継承して両王国を事実上統合したことで、ガリシアは王家の直轄下に入った。これ以後、ガリシアは独立王国としての実質的な主権を失い、より大きな王国(カスティーリャ=レオンまたは後のカスティーリャ王国)の一部門(領域的・行政的区分)として扱われるようになる。とはいえ、王号や地方慣習、司教区や有力貴族の権限などを通じてガリシアの地域性は残り続けた。
制度・文化・言語的遺産
- 言語:中世にはガリシア・ポルトガル語(後のガリシア語とポルトガル語の共通祖先)が広く用いられ、詩歌や行政文書に用いられた。現代のガリシア語(galego)はこの伝統を受け継ぐ。
- 宗教と巡礼:コンポステーラを中心とする巡礼は宗教的のみならず経済的・文化的交流を促進し、ロマネスク建築や写本文化の発展に寄与した。
- 政治制度:王権の下で司教や伯(コント)、有力な貴族が地方支配を行い、後世には「レイナート(王領)」や自治的特権(フォエロ/フエロ)などの形で地方慣習が残った。
まとめと現代への影響
ガリシア王国は、初期のスウェービ王国から中世のアストゥリアス・レオン系統に至る長い変遷を経て、1230年の王朝統合で大きな独立性を失ったものの、宗教的中心地であるコンポステーラや独特の言語・文化を通して地域アイデンティティを保ち続けた。現代のスペイン北西部におけるガリシア自治州は、この歴史的連続性と文化的遺産を引き継いでいる。
関連ページ
質問と回答
Q:ガリシア王国とは何だったのですか?
A:ガリシア王国は、ヨーロッパ南西部にあった政治的存在(国家)です。
Q:ガリシアはずっとスペインの一部だったのですか?
A: ガリシアは585年から711年までスペインの西ゴート王国の一部であり、その後8世紀にキリスト教のアストゥリアス王国とレオン王国の一部となりました。
Q:ガリシアには独自の王がいた時期もあったのですか?
A:はい、ガリシアは独自の王のもとで独立することもありました。
Q:コンポステーラがガリシアの首都になったのはいつですか?
A: 11世紀にコンポステーラがガリシアの首都になりました。
Q:ガリシアの南側の境界線は何だったのでしょうか?
A: 1128年にポルトガルが独立したことにより、その南側が境界線となりました。
Q:ガリシアをカスティーリャ王国の支配下に置いたのは誰?
A: 1230年にカスティーリャ王フェルディナンド3世がレオン王国に即位したことで、ガリシアはカスティーリャ王国の支配下に置かれました。
Q: ガリシア王国は、大領土の一部となった後も政治的な存在だったのでしょうか?
A: はい、ガリシア王国は依然として大領域の政治的区分でした。
百科事典を検索する