KNIL(王立オランダ領東インド軍)とは — 植民地軍の歴史と解説(1800–1949)

KNIL(オランダ領東インド軍)の成立から消滅までを1800–1949年の植民地軍史と独立戦争を含め分かりやすく解説。背景・作戦・影響を網羅。

著者: Leandro Alegsa

KNILとは、オランダ軍の略称である。この軍隊は、現在のインドネシアにあった。正式名称はKoninklijk Nederlandsch-Indisch Leger (Royal Dutch-East Indies Army)である。一般には「ケーエヌアイエル(KNIL)」と呼ばれ、オランダ領東インド(Nederlandsch Indië)における常備軍として編成された。名称は「王立オランダ領東インド軍」を意味する。

設立の背景と任務

インドネシアは1800年から1949までオランダの植民地であった。当時はNederlandsch Indië(オランダ領東インド)と呼ばれていた。KNILは植民地統治の軍事的基盤として、治安維持、反乱鎮圧、領内の警備、外征・拡張作戦などを目的に置かれた。ヨーロッパ本国の正規軍とは別に、現地常駐で即応可能な軍隊として機能した。

構成と人員

  • 多民族からの編成:KNILはオランダ人だけでなく、ヨーロッパ系混血(インドネシア系オランダ人=インドゥオ)、現地出身兵(ムラユ、アンボン、マナド、モルッカ、パプアなど)、さらにはイギリスやスコットランド人など多様な出自の兵士で構成されていた。
  • 常備部隊と治安部隊:常設の歩兵連隊、騎兵や砲兵部隊に加え、警察的役割を果たす部隊も存在した。
  • 採用と待遇:現地兵は地元コミュニティから徴募・志願され、特定地域の民族(例:アンボン島出身者やミナハサ人)は長年にわたりKNILで重要な役割を担った。待遇や昇進には人種・出自による差があり、ヨーロッパ系が優遇される傾向があった。

主な作戦・出来事

  • 19世紀を通じて、ジャワ反乱(例:ディポネゴロのジャワ戦争 1825–1830)やアチェ戦争(1873–1904)など、植民地支配をめぐる多数の軍事行動にKNILは従事した。
  • 20世紀では、第二次世界大戦中に日本軍が進攻すると、オランダ領東インドは1942年に占領され、KNILは解体・捕虜化・分散した。戦後、1945年の日本降伏を受けてインドネシアが独立を宣言すると、1945年以降はオランダが植民地支配の回復を図り、KNILを中心に再軍備・治安回復作戦が行われた。
  • 1945年にインドネシアが独立を宣言すると、オランダは植民地を維持するために戦争をした。この戦争はインドネシア側が勝利した。1945年の独立宣言以降、KNILはインドネシア独立勢力(共和派)と対立し、武力衝突(インドネシア独立戦争/独立革命)に深く関与した。

終焉とその後

1949年、オランダ政府はインドネシアの独立を受け入れ、KNILは消滅した。正確には、1949年の主権移譲(オランダとインドネシアの間での合意)以降、KNILは段階的に解体され、兵員や資産の移管が行われた。多くのオランダ人および特定民族出身(特にモルッカ人やアンボン人)の元兵士はオランダへ移住し、その一部はオランダ軍(Koninklijke Landmacht)に取り込まれた。他方で、インドネシア共和国側へ編入された兵士も存在し、地域・個人によって進路は分かれた。

評価と遺産

  • 軍事的側面:KNILは長期にわたる植民地支配を支えた軍事組織として、現地事情に精通した部隊を有し、殖民地に特有の作戦や歩兵戦術を発展させた。
  • 政治的・社会的側面:植民地支配の道具であったことから、現地住民への弾圧や不平等な扱いなど批判も多い。独立後のインドネシアでは、KNILの活動は複雑な記憶として語られる。
  • 文化的遺産:元KNIL兵やその子孫はオランダやインドネシア、さらに第三国でコミュニティを形成し、音楽・制服・儀礼などの面で影響を残している。特にモルッカ出身者のコミュニティは、KNILとの結びつきが強かった。

装備・制服などの補足

KNILの制服・装備は時代とともに変化したが、19世紀以降はヨーロッパ式の軍服を基盤としつつ、熱帯地帯向けに改良された。歩兵用の小銃や砲兵装備を使用し、20世紀には機関銃や装甲車両も導入された。

まとめると、KNILはKoninklijk Nederlandsch-Indisch Legerという名称のもと、長年にわたりオランダ領東インド(現在のインドネシア)で活動した常備軍であり、その役割・影響は軍事面のみならず政治・社会面でも大きなものがあった。



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