クレムリンとは|モスクワの要塞・歴史とロシア政府としての役割

モスクワの要塞クレムリンの歴史と建築、政治的役割を分かりやすく解説。レーニン廟や共産主義者の墓地など見どころも紹介。

著者: Leandro Alegsa

クレムリンロシア語:кремль)は、ロシア語で「要塞」、「城塞」、「城」を意味する。ロシアの歴史的な都市にある要塞化された中心的な複合施設を指す言葉として使われる。モスクワでは中央広場を指す。また、ロシア政府を意味する言葉としても使われることが多い。典型的なクレムリンは城壁と多くの塔、宮殿、教会、行政や軍事関連の建物、宝物館などを含み、都市の宗教・政治・軍事の中枢を成してきた。

歴史概略

クレムリンの起源は中世にさかのぼり、当初は木造の砦として築かれ、その後石造りやレンガ造りに置き換えられていった。特にモスクワ・クレムリンは15世紀末、イヴァン3世(大公)の時代にイタリアから招いた建築家たちにより大規模に再建され、現在見られる堅固な城壁や多くの教会群、鐘楼の基礎が作られた。ナポレオン侵攻や内戦、20世紀の政治変動を経て、建物の修復や保存が繰り返されてきた。

モスクワ・クレムリンの構成と主な建築物

モスクワ・クレムリンは広大な敷地に多様な建築物が集まっており、観光・宗教的・国家的な機能を併せ持つ。主なものを挙げると:

  • 大クレムリン宮殿(Grand Kremlin Palace):皇帝の儀式や現在の国事行事に使われる大規模な宮殿。
  • 諸聖徒の教会群(例:ウスペンスキー大聖堂、アルハンゲルスキー大聖堂、ブロゴヴェシチェンスキー大聖堂)と鐘楼(イワン大帝の鐘楼):ロシア正教の重要な聖堂が集中する「カテドラル広場」がある。
  • 武器庫(アルセナール/Armoury Chamber):王室の宝器、宝飾品、武具、王冠などを所蔵する博物館。
  • 国立クレムリン宮殿(State Kremlin Palace):ソ連時代に建てられた劇場・会議施設で、現在は公式行事や公演に使用される。
  • 上院(セナート)などの行政建築:歴代の政権に応じて政治的機能を担う建物がある。
  • 城壁と20本ほどの塔:クレムリンの象徴的な外観を形づくる。

共産主義者の墓地とレーニン廟

共産主義者のための墓地は、モスクワ・クレムリンの壁の一角にあります。歴代ソ連指導者や革命家の埋葬が行われてきたこの「クレムリン壁墓地(モニュメント)」はソ連時代の歴史を物理的に伝える場所です。ウラジーミル・レーニンの霊廟は外側にあり、現在も観光名所のひとつとなっています。

文化的・政治的意義

モスクワ・クレムリンは1990年にユネスコの世界遺産に登録され、その歴史的・建築的価値が国際的にも認められている。加えて、日常語では「クレムリン」は国家権力や中央政府を指すメトニミー(換喩)として使われ、国内外の報道や会話で「クレムリン=ロシア政府」として登場することが多い。

その他の「クレムリン」

「クレムリン」はモスクワ以外の都市にも存在する。例えばカザンやスモレンスクなど、各地の歴史的中心部に残る城塞群も「クレムリン」と呼ばれ、それぞれが地域の宗教・行政・軍事の拠点として機能してきた。

訪問と保存

モスクワ・クレムリンは一般公開区域と厳重に管理された国家機関区域が混在している。訪問者は宝物館や教会群、庭園などを見学できるが、施設保全のために入場制限やセキュリティ検査が行われている。保存と修復は継続的に行われており、建築物の保存状態や展示物の管理に高い水準が求められている。

クレムリンはロシアの歴史と政治、宗教が交差する象徴的な場所であり、建築・芸術・国家史の理解に不可欠な存在である。



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