ミシシッピ文化とは|900〜1450年のミシシッピ族・農耕社会と分布
ミシシッピ文化とは、北アメリカ東部の大河流域で発展した先史時代の複合的な文化圏を指します。おおむね西暦900年から1450年頃に最も栄え、中心は沿岸や河川の肥沃な谷間、特にミシシッピ川流域でした。ミシシッピ文化を担った人々はアメリカ先住民である。 彼らは長期定住と集約的な農業を基礎に社会を組織し、トウモロコシ、豆、カボチャの「3姉妹」を中心に栽培することが多く、地域によってはほぼ農民であることがほとんどでした。
主要な特徴
- 平台墳丘(マウンド):神殿や首長の居所、祭祀の場として使われる盛土(プラットフォーム・マウンド)や墓を伴う大型の土木工作が各地で築かれました。
- 都市的中枢:最も有名なのは現在のセントルイス近郊にあったカホキア(Cahokia)で、広い広場や多数の墳丘、集落を持ち、人口・規模ともに地域最大級でした。
- 複雑な社会階層:首長(チーフ)を中心とする首長制的な政治構造や、宗教・儀礼を司る階層、職人の専門化が見られます。
- 交易ネットワーク:貝製品、銅、黒曜石、糸状の貝殻装飾などを介した広範囲な交易が存在しました。セラミックや石器の様式にも地域間の交流が反映されています。
- 考古学的指標:貝殻を含ませた(シェルテンパード)陶器、装飾彫刻・図像群(Southeastern Ceremonial Complex)などが特徴です。
社会と生活
住居は家族単位の長屋や竪穴式の住居が中心で、集落は墳丘と広場を中心にまとまっていました。食料生産の主軸はトウモロコシで、これに豆やカボチャを組み合わせることで食糧の安定化と人口増加を支えました。工芸では陶器、石器、骨角器、装飾品(貝や銅の器具)が発達し、宗教儀礼や首長の威信を示すための物質文化が豊かに残されています。
分布
ミシシッピ文化の影響は南東部と中西部の広い範囲に及び、たとえばフロリダ州のパンハンドルから西にオクラホマ州、北はミネソタや五大湖周辺、東はオハイオ州に至るまで、河川や支流に沿って多数の集落・儀礼中心地が点在しました。地域ごとに伝統や規模は異なるため、「ミシシッピ文化」とは共通する文化的要素を共有した広域的な文化圏を指す総称です。
衰退の要因
多くの中心地が13〜15世紀にかけて縮小・放棄される事例があり、衰退の原因は一様ではなく議論が続いています。考えられている要因には、気候変動(干ばつや異常気象)、森林資源や土壌の過剰利用による環境悪化、内部の社会的緊張や戦争、疫病の流行、交易ルートの変化などが挙げられます。遺跡ごとに複合的な要因が重なった可能性が高いと考えられています。
代表的な遺跡と遺産
代表的な遺跡にはカホキア(イリノイ/ミズーリ川近傍)、マウンドビル(アラバマ)、エトワー(ジョージア)、スパイロ(オクラホマ)などがあります。これらの遺跡から出土した建築跡や出土品は、当時の宗教観・社会構造・交易網を理解する重要な手がかりとなっています。また、ミシシッピ文化はその後に続く南東部の諸部族(例:マスコギー(クリーク)、チョクトー、チカソー、セミノールなど)に文化的影響を与えたと考えられ、現代の先住民文化の一部に連続性が認められます。
ミシシッピ文化は、北米大陸の先史時代における都市化・社会複雑化の代表例の一つであり、考古学的研究は現在も活発に続けられています。出土資料や地形・環境データの解析により、各地域ごとの生活や衰退過程の理解が日々深まっています。