旭日章(旭日小綬章)とは:日本の勲章の歴史と授与基準を解説
旭日章(旭日小綬章)の成立から授与基準、近代の変遷と外国人授与までを歴史と手続きでわかりやすく解説。
旭日章(きょくじつしょう)は、1875年(明治8年)4月10日に創設された日本の勲章である。創設当時は政府による国家勲章として定められ、創設に関しては明治天皇によって制定された旨が伝えられている。日本の近代的な勲章制度の代表的な存在であり、長年にわたり公的・私的分野での顕著な功績に対して授与されてきた。
歴史的背景
明治維新以降、日本は西洋諸国と同様の勲章制度を整備する必要があり、旭日章はその一環として設けられた。創設以来、政府内外の功績ある人物や外交関係に貢献した外国人など多様な受章者があり、洋風の徽章意匠(旭日を象った放射状のデザイン)を取り入れている。
授与対象と基準
- 主に以下のような分野で顕著な貢献をした個人が対象となる:
- 政治・行政における長年の功績
- 学術・文化・芸術の振興
- 国際親善・外交関係の促進
- 産業・経済の発展、社会福祉や環境保全への貢献
- 外国人への授与:外国人にも早くから授与されており、現在も国際的な貢献や友好関係の構築に対して多くの外国人が受章している。
- 個人の功績の継続性・公益性・影響の大きさが評価され、各分野の専門家や各省庁・地方自治体からの推薦、審査を経て決定される。
等級と徽章(概略)
旭日章は複数の等級に分かれており、等級ごとに徽章の大きさや着用方法(胸章、綬、リボンや勲章の飾り)が異なる。代表的な上位の等級としては「旭日大綬章」などがあり、下位・中位の等級には小綬(小さな綬=リボン)に付けるタイプのものがある。一般に徽章は旭日(朝日の光線)を象徴する放射状の意匠が用いられ、中央に瑞章や日の丸を配したデザインが特徴である。
手続き・発表・授与の流れ
- 推薦:各府省庁、地方公共団体、関係団体などから推薦が行われる場合が多い。
- 審査・決定:内閣府の賞勲に関する部署(賞勲関係部局)等で審査が行われ、内閣で最終的な決定がなされる。
- 発表:受章者名は通常、春と秋の叙勲の時期に発表され、官報等で公表される。
- 授与:受章は天皇の名において行われる。授与式は宮内庁や関係省庁で執り行われることがある。
社会的意義と注意点
旭日章は公共的な貢献を顕彰する制度として広く認知されているが、授与の是非や政治的・外交的影響をめぐって意見が分かれることもある。受章は栄誉であると同時に、受章者の役割や行為が社会的に評価された結果であることから、その背景や基準について関心が持たれる。
まとめ
旭日章は日本の代表的な勲章の一つで、1875年の創設以来、国際関係から文化・学術、社会福祉に至るまで幅広い分野で功績を挙げた個人に授与されてきた。授与は内閣による審査ののち天皇の名で行われ、春秋の叙勲で発表される点が制度的な特徴である。特に「旭日小綬章」は小さな綬(リボン)で胸に付けるタイプの等級に当たり、中位の功績を顕彰するものとして広く用いられている。

旭日章 1902年頃
クラス
2003年まで9階級で授与されていた。それ以降は7階級となっている。
選択された受信者
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勲一等旭日小綬章、大綬章
- コンラート・アデナウアー(1876~1967年)
- ダグラス・マッカーサー(1880-1964)
1級、グランコルドン
- エドマンド・バートン、1905年
- ゼップ・ブラッター、2009年
- マルコム・フレイザー(2006年
- ダニエル・イノウエ(1924-2012)
- リー・クアンユー、1967年
- ワンガリ・マータイ、2009年
- ジョン・マキュウエン 1973年
- ロバート・メンジース(1894~1978年)
- Goh Chok Tong, 2011
- Gough Whitlam, 2006
2等星、金星、銀星
- 安藤百福(1910-2007)、2002年
- ドナルド・キーン 1993年
3等・金線・頸綬
- クリント・イーストウッド 2009年
- Ian Nish, 1991
- ラージ・サー 2017年
第4位 金色の光線(ロゼット付き
- マルタ・アルゲリッチ, 2005
- ジョージ・タケイ、2004年
- H.ポール・ヴァーリ、1966年
5級、金線、銀線
- 吉澤 彰(1911-2005)
第6期生、シルバーレイズ
- ヘンリー・ハジム・フジイ(1886~1976年)
- ツヤコ・コベニー(2017年)
七級・緑桐葉メダル
2003年、この等級は廃止された。
8等・白桐葉メダル
2003年、この等級は廃止された。
クラス不明
- アウンサン(1915-1947)
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