ペトラとは ヨルダン南部の古代ナバタイ王国の遺跡と世界遺産
ペトラ(アラビア語: البتراء, Al-Batrāʾ; 古代ギリシャ語:Πέτρα)は、ヨルダン南部の歴史的・考古学的都市である。
ペトラは、早くも紀元前9,000年に入植したと考えられています。ナバタイ王国の首都となった。ナバタイ人は遊牧民のアラブ人で、ペトラはスパイスの交易路の近くにあったため、ペトラを利用していました。
ナバタイ王国は紀元前1世紀にローマ帝国の顧客国家となり、紀元106年に独立を失った。海路の発達に伴い、ペトラの重要性は低下した。また、363年の地震で多くの建造物が破壊された。
ビザンチン時代にはキリスト教の教会がいくつか建設されましたが、街は衰退の一途をたどっていました。イスラム時代初期には、ペトラには一握りの遊牧民しか住んでいませんでした。1812年にヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって再発見されるまで、ペトラは世界的に知られていませんでした。
ペトラは1985年にユネスコの世界遺産に登録されました。ユネスコは「人類の文化遺産の中で最も貴重な文化財の一つ」と評しています。
ペトラはヨルダンで最も観光客が多い観光地です。観光客数のピークは2010年の100万人でした。
主要な遺跡と見どころ
ペトラの遺構はほとんどが砂岩の断崖に刻まれた「ロックカット(岩窟)建築」で知られます。特に有名なものは以下のとおりです。
- アル=カズネ(Al-Khazneh、通称「宝物殿」):シーク(狭い峡谷)を抜けた先に現れる壮麗なファサードで、観光の象徴となっています。細部にはヘレニズム様式の影響が見られます。
- アド=デイル(Ad-Deir、通称「修道院」):山腹に大きく刻まれた建造物で、頂部からの眺めも優れています。ここへは階段を登ってアクセスします。
- カスル・アル=ビント(Qasr al-Bint):真にぎわう宗教的建築の跡で、古い街の中心部に位置します。
- 劇場(アムフィシアトロン)や列柱通り:ローマ時代の影響を受けた構造物や都市計画の痕跡が残ります。
- ハイ・プレイス(高所祭壇)や多数の墓碑:宗教儀礼と埋葬に関わる遺構が各所にあるのが特徴です。
地形・水利と技術
ペトラは砂岩の渓谷と断崖によって囲まれており、ナバタイ人は限られた水資源を効率的に管理する高度な水利システム(ダム、貯水槽、導水路、雨水集積装置)を構築しました。これにより厳しい乾燥地帯でも都市生活と交易活動が可能になりました。
建築様式と文化的背景
ナバタイ人の建築は、地中海世界・ヘレニズム、ローマ、エジプト、メソポタミアなど周辺文化の影響を受けつつ、独自の様式で岩盤に彫り込む技術を発展させました。ファサードの装飾や彫刻は、宗教的・社会的意味を持ち、交易で得た富が造形に反映されています。
衰退と近代的な発見
海上交易の発展、内陸ルートの変化、地震などが原因でペトラの重要性は徐々に低下し、住民も減少しました。1812年、スイス人探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトが西洋世界に再紹介して以降、考古学的調査や記録が進みました。
保護と課題
ペトラの保存には多くの課題があります。主なものは風化と侵食(砂岩は雨風で崩れやすい)、観光による摩耗、都市近郊での無秩序な開発、そして突発的な豪雨による洪水のリスクです。ユネスコやヨルダン政府、非政府組織(例:Petra National Trust)による保存・修復・モニタリングの取り組みが続いています。
観光情報とアクセス
ペトラの主要な入り口はワディ・ムーサ(Wadi Musa)という町にあり、シーク(狭い峡谷)を歩いてアル=カズネに至るルートが一般的です。主要な見どころは広いエリアに点在しているため、半日〜1日、あるいは複数日にわたって見るのが一般的です。修道院など一部の遺跡へは多くの階段や山道を登る必要があるため、歩きやすい服装と飲料水の準備を推奨します。
意義と評価
ペトラは古代の商業ネットワーク、独自の建築技術、乾燥地での水管理技術の優れた例として高く評価されており、ユネスコが「人類の文化遺産の中で最も貴重な文化財の一つ」と評したのもそのためです。世界遺産登録以降も、学術研究や保存活動、持続可能な観光の在り方が重要課題となっています。
補足(気候と訪問時期)
気候は乾燥しており、夏は非常に暑く冬は比較的涼しいため、訪問は春や秋の気候が穏やかな時期が適しています。また、短時間で強い雨が降ることがあるため、洪水情報や現地の注意喚起にも留意してください。