第二次スコットランド独立戦争(1333–1357):原因・経過・影響を解説

第二次スコットランド独立戦争(1333–1357)の原因・経過・影響をわかりやすく解説。エドワード3世とデイビッド2世の対立や百年戦争への波及も詳述。

著者: Leandro Alegsa

第二次スコットランド独立戦争は、1333年にイングランドのエドワード3世が、ロバート・ブルースが築いた王朝の正当性をイングランドが認めた1328年のノーサンプトン条約を受け入れなくなったことから始まりました。エドワード3世は、ブルースの息子であり相続人であるデイビッド2世に対して、前王ジョン・バリオールの息子であるエドワード・バリオールの王位主張を支持する決意を固め、1332年の秋にエドワード・バリオールが“失地貴族(the Disinherited)”らの支援を受けてスコットランドに侵入しました。バリオールは1332年末に一時的にスコットランドを支配しましたが、その支配は不安定で、戦争は1357年にデイビッド2世がイングランドの捕虜から解放されるまで続きました。また、イングランドがスコットランドに関与したことは、1337年にフランスとの間で百年戦争が勃発する要因の一つにもなりました。

原因

  • 条約と正当性の争い:1328年のノーサンプトン条約でイングランドはロバート・ブルース王の王位を承認しましたが、エドワード3世の王位政策と一部の英王室関係者はそれを容認しませんでした。前王ジョン・バリオールの一族の王位請求が再燃したことが直接の契機です。
  • 失地貴族の不満:ロバート・ブルースの治世で土地を失ったスコットランド人貴族(the Disinherited)が、土地回復を求めてエドワード・バリオールを支持しました。
  • 国際情勢:英仏両国の対立と大陸での勢力争いが背景にあり、スコットランドはフランスと伝統的な同盟(Auld Alliance)を結んでいたため、イングランドの対外政策と密接に結びついていました。

経過(主な出来事)

  • 1332年:ダプリン・ムーアの戦い(Battle of Dupplin Moor) — エドワード・バリオール側が勝利し、1332年10月にバリオールはスコットランドで戴冠しますが、支配は短命でした。
  • 1333年:ヘイリドン・ヒルの戦い(Battle of Halidon Hill) — 7月にエドワード3世率いる英軍が決定的勝利を収め、バリオールは一時的に王位を回復。英軍は国境地帯の多数の城を占領しました。
  • デイビッド2世の亡命:若年のデイビッド2世は一時的にフランスへ亡命(1334年ごろ)し、スコットランド国内は抵抗と分裂が続きます。
  • ゲリラ戦と守護体制:スコットランド側は山岳地や国土戦で英軍に抵抗しつつ、ロバート・ステュアート(後のロバート2世)らが摂政(Guardian)として国内統治を行いました。
  • 1346年:ネヴィルズ・クロスの戦い(Battle of Neville's Cross) — 10月、スコットランド軍が北イングランドへ侵入した際に英軍が迎撃し、デイビッド2世は捕らえられて以後長期にわたりイングランドで軟禁されます。
  • 1357年:バラウィック条約(Treaty of Berwick) — デイビッド2世は身代金(100,000マーク)支払いの条件で解放され、1357年に帰国しました。これにより戦争は事実上終結しましたが、支配権や国境問題は解決されませんでした。

軍事的特徴

  • 英軍のロングボウ兵の重要性が改めて示され、平地での戦闘で決定的な役割を果たしました(ヘイリドン・ヒル、ネヴィルズ・クロスなど)。
  • 一方のスコットランドは地形を活かした防御やゲリラ戦を展開し、長期的には消耗戦に持ち込みました。

影響・結果

  • 政治的影響:エドワード・バリオールの王位主張は最終的に失敗し、ブルースの王朝の正当性は維持されました。ただし、デイビッド2世の長期不在で国内の権力構造は変化し、ロバート・ステュアートらが台頭して後のステュアート朝成立への基盤が築かれました。
  • 経済・社会的影響:国境地帯を中心に略奪や城の占領、農地の荒廃が生じ、財政負担(特にデイビッド2世の身代金)が国に重くのしかかりました。治安の悪化は境界地帯の“reiver(盗賊)文化”の温床ともなりました。
  • 国際関係:スコットランドとフランスのAuld Allianceは強化され、英仏対立(百年戦争)と連動して両国間の緊張が高まりました。イングランドがスコットランドに干渉したことは、英王の大陸政策と密接に結び付いています。
  • 軍事戦術の教訓:ヘイリドン・ヒルやネヴィルズ・クロスでの敗北は、平地での集団的射撃(ロングボウ)と戦列運用の優越を示し、以後の戦術にも影響を与えました。
  • 長期的な結果:戦争はスコットランドの独立を根本から覆すには至らず、1357年の帰国後も両国は断続的に敵対を続けました。最終的にスコットランドの王位はステュアート朝へと移り、イングランドとの主権問題は以降も歴史的な緊張の源泉となりました。

まとめ

第二次スコットランド独立戦争は、条約承認を巡る王位の正当性と、失地貴族の復権を巡る争いがきっかけで勃発し、数々の大規模な戦闘と長期にわたる小競り合いを経て1357年のデイビッド2世の解放で終結しました。戦争は両国の政治・社会・軍事に深刻な影響を与え、特にスコットランドではステュアート家の台頭と国力の疲弊をもたらしました。また、この紛争は同時代の英仏関係とも絡み合い、百年戦争の文脈でも重要な位置を占めます。

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質問と回答

Q: 第二次スコットランド独立戦争はいつ始まりましたか?


A: 第二次スコットランド独立戦争は1333年に始まりました。

Q: なぜイングランドのエドワード3世は第二次スコットランド独立戦争を始めたのですか?


A: イングランド王エドワード3世は、ロバート・ブルースが築いた王朝の正当性をイングランドが承認した1328年のノーサンプトン条約を受け入れませんでした。エドワード3世は、ブルースの息子であり後継者であるデイヴィッド2世よりも、前王ジョン・バリオールの息子であるエドワード・バリオールの主張を支持する決意を固めました。

Q: エドワード・バリオールとは誰ですか?


A: エドワード・バリオールは前国王ジョン・バリオールの息子です。彼はブルースの息子であり後継者であったデイヴィッド2世に対してスコットランドの王位を主張しました。

Q: エドワード・バリオールは以前スコットランドを統治していたのですか?


A: はい、エドワード・バリオールは1332年秋に短期間スコットランドを統治しましたが、その年の暮れにはスコットランドを追放されました。

Q: 第二次スコットランド独立戦争はいつ終結しましたか?


A: 戦争自体は、デイヴィッド2世がイギリスの捕虜から解放される1357年まで続きました。

Q: イギリスのスコットランドへの関与が引き金となった他の紛争は?


A: イギリスのスコットランドへの関与は、1337年のフランスとの百年戦争勃発の要因の一つでもありました。

Q: ロバート・ブルースとは誰ですか?


A: ロバート・ブルースは王朝を築いたスコットランド王です。イングランドは1328年のノーサンプトン条約で彼の王朝の正当性を認めました。


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