オデッサ包囲戦は、第二次世界大戦中の包囲戦であり、1941年の東部戦線作戦の一局面を成した。ルーマニア軍とドイツ軍(ドイツ国防軍第11軍、11.Armee)が主力となって攻勢をかけ、ソビエト連邦のオデッサ市(現ウクライナ領)を包囲・攻略した戦いである。戦闘は1941年8月上旬から同年10月中旬まで続き、一般に「73日間の包囲」として知られている(期間:約8月〜10月、最終的な占領は10月中旬)。
概要
包囲側は主にルーマニア軍が主体となり、これにドイツ第11軍が協力した。守備側は赤軍の地上部隊と、黒海艦隊を中心とする海軍部隊、さらに沿岸防衛部隊が市内外で抵抗した。オデッサは黒海に面した重要な港湾都市であり、戦略的・象徴的価値が高かったため、両軍ともに激しい攻防が展開された。
経過
攻勢は複数回の主要攻撃(史料によっては「4回の大攻勢」と記述される)と、それに続く市街戦・塹壕戦、包囲戦となった。守備側は港湾を通じた補給や艦砲射撃、海路での人員・民間人の避難を活用して抵抗を続けたが、次第に兵力・物資が消耗していった。都市周辺では激しい塹壕戦や夜襲、局地的な白兵戦も発生した。最終的にルーマニア軍とドイツ軍の連合攻撃により市は陥落した。
損害と避難
両軍の損害は大きく、史料により数字はばらつく。軸側(主にルーマニア軍)側の死傷者は合わせて約93,000人とする記述がある一方で、赤軍側の死傷者については資料により差があり、一般的には約41,000人とするもの、あるいはより高く約60,000人という推計を示す研究者もいる。民間人も多数の犠牲や負傷者を出し、相当数が海路で避難を余儀なくされたが、避難者数や民間被害の正確な統計は資料によって異なる。
海軍と航空の役割
黒海艦隊は艦砲支援や輸送・避難で重要な役割を果たし、守備側の延命に寄与した。これに対し、軸側も空軍(ルフトヴァッフェ)や陸上砲兵を活用して市への圧力を強めた。海上・沿岸での戦闘や補給線の遮断が戦局に影響を与えた点も見逃せない。
意義と影響
オデッサの包囲戦は東部戦線における局地的な大規模戦闘の一つであり、軸側にとっては黒海沿岸支配の確立と南方作戦の前進を意味した。一方、守備側の激しい抵抗は軸側の戦力を一定期間拘束し、その後のクリミアやソチ方面への作戦に影響を与えた。歴史的評価では、オデッサの戦いは戦略的価値だけでなく、都市防衛・海兵連携・民間人避難など複合的な側面が注目される。
記録と評価
この戦いに関する史料はルーマニア側、ドイツ側、ソ連側で差異があり、特に死傷者数や避難者数、詳細な部隊配備については諸説ある。近年の研究では、各国の公文書・証言・民間記録を照合することでより精緻な分析が進められているが、争点が残る部分も多い。
オデッサ包囲戦は、短期間に激烈な都市戦と包囲戦が混在した典型例であり、東部戦線の複雑さと戦争が都市と住民にもたらした甚大な影響を示す事例である。

