兵馬俑とは?秦始皇のテラコッタ戦士 — 発見・構造・歴史を解説
兵馬俑(秦始皇のテラコッタ戦士)を徹底ガイド:発見の経緯、構造・制作技術、歴史的背景や見どころを写真と共にわかりやすく解説。
兵馬俑とは、中国の古代皇帝である秦の始皇帝の埋葬された軍隊のことです。この古代の彫刻は、2000年以上前に西安市の近くで作られ、埋められました。1974年、地下水を求めて井戸を掘っていた農民によって発見されました。それ以来、1000体以上の兵馬俑が発見されています。今もなお、少なくとも6,000体以上が埋まっていると考えられています。
発見と発掘の歴史
1974年の偶然の発見以降、中国および国際的な考古学チームによって大規模な発掘調査が行われてきました。発掘は主に三つの主要な「坑(ピット)」で進められており、ピット1は最も広く、兵士・戦車・馬を含む構成が一望できるため最も重要視されています。全体の規模については研究者の推定に差異がありますが、発掘・復元された像は数千体にのぼり、発掘されていない埋蔵体はさらに多いと考えられています。発見直後からの発掘は断続的に行われ、保存・修復技術の向上に合わせて新たな方法で慎重に進められています。
構造と製作技法
テラコッタ(素焼きの粘土)で作られた兵馬俑は、基本的に胴体、頭部、腕、脚などを別々に成形して接合する「分業的」製作法で作られました。共通の鋳型を用いる部分もある一方で、最終的な顔の造形や髪型、表情は職人の手作業で個別に仕上げられ、結果として同じ軍隊内でも一体一体が異なる表情や特徴を持ちます。像の大きさはほぼ実物大で、身長は約1.8〜2メートルに達するものが多く、将兵や指揮官の階級によって身長や装備が異なります。
製作工程の要点:
- 素焼きの粘土で基本形を作り、細部は手で彫り込む。
- 焼成後に漆(しっくい)や鉛を含む下地を塗り、その上に顔料で彩色していた。
- 武器は当初、青銅や鉄などの金属製であったが、長年の風化や盗難で現存数は限られる。
彩色と保存上の課題
発見時、多くの像は鮮やかな彩色が施されていましたが、土中から掘り出して空気に触れると急速に色が剥がれ落ちるという問題がありました。特に漆や有機顔料は露出によって劣化しやすく、発掘技術や保存処置が追いつかない時期には色彩の多くが失われています。このため、現在は発掘と同時に保存処理を行う、発掘を段階的に進める、といった慎重な方針が採られています。
歴史的背景と目的
中国の歴史家である司馬遷の記録によれば、秦の始皇帝は紀元前221年に中国を統一する以前から自らの死後の世界を備える大規模事業を命じていました。工事は彼が秦の王になった紀元前247年ごろから始まったとされ、彼の死(紀元前210年)まで続けられたと伝えられます。司馬遷の『史記』には、墳墓や地下の宮殿建設に何十万、あるいは70万人以上の労働力が動員されたという記述があり、被葬者を守るための兵馬俑もその一環と考えられています。
目的については諸説ありますが、主な理解は次の通りです:
- 皇帝の来世を守るための護衛軍としての象徴的・実用的役割。
- 墓の権威と富を示す政治的メッセージ。
- 当時の軍隊編成や武具・服飾の実物資料としての価値を持つ記録的遺産。
現在の保存状況と保護方針
埋葬された「地下都市」や中央の陵墓そのものは、現代の保存・復元技術が十分でないことや、開発による損傷を避けるため中国政府は全面的な発掘を行わない方針をとっています。代わりに、発掘済みのピット周辺に「秦始皇兵馬俑博物館(西安の博物館)」が整備され、一般公開・研究・保存が行われています。1987年には「秦始皇陵及び兵馬俑坑」がユネスコの世界遺産に登録され、その価値は国際的にも認められています。
学術的・文化的意義
兵馬俑は考古学的に極めて重要な遺産で、当時の造形技術、軍事組織、服飾、武器の実態を知る貴重な一次資料を提供します。また、発見以降の修復・保存技術の発展を促し、文化財保存の課題を世界に示す事例ともなっています。観光面でも西安の主要な観光資源の一つで、世界中から多くの人が訪れます。
見学情報(概略)
兵馬俑の展示は、西安近郊の発掘現場に併設された博物館で見ることができます。アクセスは西安市内から車や観光バスで数十分〜1時間程度が一般的です。展示は屋内ピットのガラス天井の下で保存・公開されており、英語などによる解説や展示パネルも整備されています。訪問の際は季節によって混雑するため、時間に余裕を持った計画をおすすめします。
まとめ:兵馬俑は、秦の始皇帝の権力と当時の高度な工芸技術を示す遺産であり、発見以来多くの謎と価値を提供してきました。考古学・保存科学・文化史の交差点に位置するこの遺跡は、今後も慎重な研究と保護が続けられていくでしょう。
馬を連れたテラコッタの兵士。

西安博物館
組立ライン
工房で作られたテラコッタ製の軍用フィギュア。頭部、腕、脚、胴体を別々に作り、それを組み立てます。研究によると、おそらく8つの顔型が使用され、それぞれの顔の特徴を出すために粘土が加えられたと考えられています。組み立てた後は、表情などの特徴を加えていきます。
この脚は、当時のテラコッタ製の排水管と同じように作られたと考えられています。つまり、1つの作品を作ってから焼成するのではなく、特定の部品を製造して焼成後に組み立てる、組立式の生産方法だったのです。当時は工房ごとに名前を書かなければなりませんでした。完成したテラコッタ人形は、階級や任務に応じて正確な軍の陣形で穴に入れられた。
質問と回答
Q: 兵馬俑とは何ですか?
A: 兵馬俑とは、古代中国の皇帝、秦の始皇帝が埋葬した軍隊のことで、1000体以上の兵馬俑で構成されています。
Q: 兵馬俑はいつ作られ、埋葬されたのですか?
A: 兵馬俑は今から2000年以上前、紀元前247年から210年の秦の始皇帝の時代に作られ、埋葬されました。
Q: 兵馬俑はどのようにして発見されたのですか?
A: 兵馬俑は1974年、地下水を求めて井戸を掘っていた農民によって発見されました。
Q: 兵馬俑はなぜ作られたのですか?
A: 中国の歴史家司馬遷によると、兵馬俑は秦の始皇帝を死後の世界で守るために作られました。
Q: 秦の始皇帝が埋葬された地下都市を建設するのに、どれくらいの労働者が必要だったのですか?
A: 秦の始皇帝が埋葬された地下都市の建設には、70万人以上の労働者が必要でした。
Q: 兵馬俑は何でできていますか?
A: 兵馬俑は粘土でできています。
Q: 兵馬俑はどのくらい細かいのですか?
A: 兵馬俑は、年齢、階級、性格が推測できるほど細かく、同じ兵士は一人もいません。
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