トルクメン・ソビエト社会主義共和国(Turkmen:Түркменистан Совет Социалистик Республикасы, Türkmenistan Sowet Sotsialistik Respublikasy; Russian:Туркменская Советская Социалистическая Республика, Turkmenskaya Sovetskaya Sotsialisticheskaya Respublika)、通称トルクメニスタンまたはトルクメニアは、中央アジアに位置するソビエト連邦の構成共和国の一つで、1925年から1991年までの間、ソ連邦内の一共和国として存続した。成立の経緯としては、1921年8月7日にトルキスタンASSR内のトルクメン州(自治州)として設置されたのち、民族別地域再編の過程を経て1925年5月13日にトルクメンASSRが昇格してトルクメンSSRとなり、以後ソ連の連合共和国の一つとなった。

歴史の概要

トルクメンSSRはソビエト体制の下で、中央集権的な計画経済と共産党による一党支配が敷かれた。農業の集団化や綿花栽培(いわゆる「白い金」)の大規模化、工業化政策、そして鉄道・道路などインフラ整備が進められた。第二次世界大戦後は工業やエネルギー資源の開発が徐々に進み、カスピ海沿岸の油田や天然ガスの探査も行われた。1980年代後半、ゴルバチョフの下で進んだ改革(ペレストロイカ・グラスノスチ)の影響を受け、地方でも主権や自治を求める動きが強まった。

1990年8月22日、トルクメニアは国家主権を宣言し、自国の法律がソ連の法律より優先されることを宣言した。その後ソ連崩壊の過程で、1991年10月27日に共和国の独立が宣言され、以後は独立国家としてのトルクメニスタン(トルクメニスタン)となった。独立後は旧共産党指導者の一人であったサパルムラト・ニヤゾフ(Saparmurat Niyazov)が実権を掌握し、新国家の基盤を築いた。

地理と行政

トルクメンSSRの領域は、ソ連解体に至るまで大きな変動は少なく、現在の独立国家トルクメニスタンの領土とほぼ一致する。地理的には南はイランとアフガニスタン、北西はカザフスタン、北〜東はウズベキスタンと接し、西はカスピ海に面している。カスピ海に沿った海岸線はあるものの、カスピ海は外洋と連結していないため海洋への直接的な出入口がない点からしばしば「内陸的」な性格を持つと表現される。

行政の中心は首都アシハバート(ロシア語表記ではアシガバート、現在の日本語表記は通常「アシガバート/アシハバート」または英語名の"Ashgabat")で、州(オーブラスティ)単位の下位行政区分が置かれた。主要都市にはアシガバート、トルクメンバシ(旧名クラスノヴォドスク)、マリなどがある。

人口・言語・文化

住民は主にトルクメン人が多数を占め、ロシア人・ウズベク人・カザフ人などの少数民族が混在していた。宗教的には多くがスンナ派イスラムを信仰しているが、ソ連時代は世俗化政策が行われ、宗教活動は抑制された。公用語はトルクメン語で、ソ連時代にはキリル文字が公式に用いられた。ロシア語も行政・教育・専門分野で広く使われた。

経済とインフラ

経済は伝統的に農業(特に綿花、羊毛、穀物)が基盤であり、ソ連時代には計画経済の下で大規模な灌漑事業と綿花生産の拡大が進められた。これに伴う環境負荷(灌漑に伴う塩害など)や地域的な問題も生じた。工業面では繊維産業や軽工業、エネルギー分野ではカスピ海域の油田・天然ガス資源の探査と開発が行われ、これが後の独立国家での重要な輸出財源となった。

交通面では、トランスカスピ鉄道など中央アジアを結ぶ鉄道網や主要道路網が整備され、地域内外との物資輸送や移動に重要な役割を果たした。

政治体制とその変遷

ソ連構成共和国として、トルクメンSSRの政治は共産党(トルクメン共和国共産党)による一党支配が基本であった。地方指導部は中央の方針に従い、計画経済や文化政策、党による人事が行われた。ソ連末期の民族主義・主権回復運動が高まる中で、1990年代初頭には旧体制からの移行が進み、最終的に独立国家として新たな政治体制が確立された。

まとめ

トルクメン・ソビエト社会主義共和国は、1925年の成立以来1991年までソ連の一共和国として存在し、民族的・地理的独自性を持ちながらもソ連の中央計画経済と政治体制の影響を強く受けた地域であった。独立に至る過程では国家主権宣言(1990年8月22日)や独立宣言(1991年10月27日)といった重要な政治的転換点を迎え、後のトルクメニスタン国家形成の基盤を残した。