ウズベク人とは 中央アジアの民族・言語・分布と歴史
ウズベク人は、主に中央アジア諸国に住むトルコ語を話す民族である。ウズベク人はウズベキスタンに住む人々の大多数を占めています。アフガニスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、ロシア、中国では少数派です。遠く離れた場所にも少数が住んでいます。ウズベク人はテュルク語族のウズベク語を話します。
概説と人口
ウズベク人は中央アジアで最も人口の多いトルコ系民族の一つで、ウズベキスタン国内では国民の大多数を占めます。ウズベク系のコミュニティは周辺の中央アジア各国や中国新疆のほか、ロシアやトルコ、欧米に移住したディアスポラも存在します。人口は地域や統計によって差がありますが、数千万人規模の集団です。
言語と方言
ウズベク語はテュルク語族カールク(カルルク)語群に属する言語で、ウイグル語と近縁です。語形論的には膠着語(アグルチナティブ)で、語順は一般にSOV(主語‐目的語‐動詞)です。ウズベク語には地域差があり、大まかに北部方言と南部方言に分けられます。南部方言はペルシャ語やソグド語などの影響を受けた要素が比較的強く、アフガニスタンのウズベク人が話す変種などは地域色が強いです。
表記については歴史的にアラビア文字、ソ連時代にはキリル文字が広く使われ、1990年代以降はラテン文字への移行が進められています。ただし実際の使用状況は世代や地域によって異なり、キリル文字やラテン文字の併用が見られます。
地理的分布
- 中心地はウズベキスタンで、首都タシュケントや歴史都市サマルカンド、ブハラ、ヒワなどに多く暮らしています。
- 周辺諸国でも重要な少数派を形成しており、アフガニスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタンなどにウズベク系住民が分布しています。
- また、ロシアやトルコ、ヨーロッパ、北米などに移住コミュニティが存在し、中国では少数派(主に新疆ウイグル自治区)として暮らす人々もいます。
歴史の概略
ウズベク人の形成は長い歴史的プロセスの結果で、中央アジアに古くから住んでいたソグド人やペルシア語話者、遊牧や半遊牧を営むトルコ系諸部族、13世紀のモンゴル侵入以降のモンゴル系集団などが混ざり合って成立しました。中世にはサマルカンドやブハラがペルシア文化圏の重要な拠点として栄え、ティムール朝やその後の王朝が地域文化に大きな影響を与えました。
「ウズベク(Uzbek)」という名称は歴史上の有力者名や部族名に由来するとされ、16世紀以降、シャイバニ朝(シャイバニ朝のウズベク諸族など)やその後のハン国(ブハラ、ヒヴァ、コーカンドなど)の形成によって、言語的・文化的にまとまりが強まりました。19世紀から20世紀にかけてはロシア帝国による征服と、続くソビエト体制による国民国家形成(民族の行政区画化、教育・言語政策)がウズベク民族意識の形成に影響を与えました。ウズベキスタンはソ連崩壊後の1991年に独立しました。
宗教・文化
宗教は主にイスラム(スンナ派、ハナフィ学派)が多数を占めますが、ソビエト時代の非宗教化政策の影響で世俗化も進んでおり、宗教実践の度合いは地域・世代で差があります。
文化面では古都に残るイスラム建築、絨毯や刺繍(スザニ)、陶器、音楽(シャシュマカムなど中央アジア伝統音楽)や民謡、そして代表的な料理としてのプロフ(ピラフ)などが知られています。ノウルーズ(春の暦新年)や結婚式、祭礼などで伝統文化が色濃く残っています。
現代の課題と展望
現代のウズベク人社会は都市化、経済開発、教育普及、言語政策(ラテン化など)、移民・出稼ぎ労働といった変化に直面しています。一方で伝統文化や歴史的遺産の保存、宗教・民族間の共生、若年人口の雇用創出などが重要な課題です。国際化の進展により、ディアスポラとの交流や国外でのコミュニティ形成も活発になっています。
まとめ
ウズベク人は中央アジアを代表するトルコ系民族で、言語・宗教・歴史的背景に独自性があります。歴史的には複数の民族や文化の融合を経て形成され、現代ではウズベキスタンを中心に広範な地域に分布し、古代〜中世の都市文化と遊牧的伝統の両面を併せ持つ社会を形成しています。
関連ページ
- トルコじん
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