ウィキリークスとは?定義・歴史・主要リークと国際的影響
ウィキリークスの定義から歴史、主要リークと国際的影響をわかりやすく解説。内部告発の真相と波紋を事例で検証—今すぐ読む。
定義と目的
ウィキリークスは、これまで秘密にされていた政府や民間のデータ、企業や宗教の文書をウェブサイトで公開している非営利団体です。内部告発や機密文書の公開を通じて、国家や企業の不正、戦争行為、人権侵害などを明らかにすることを目的としています。通常、文書を投稿した人の名前や住所は公表しない仕組みを採っています(ただし、後述するように「未編集の原文」を公開する際の扱いで議論が起きています)。サイトの拠点はスウェーデンとされることが多く、名前はウィキペディアに似ていますが、ウィキペディアやウィキメディア財団とは関係ありません。団体名に「ウィキ」が付くのは、当初ウィキモデルを使って誰でも編集できる形を目指していた名残であり、のちに公開のあり方や編集方針が変更され、現在は一般編集ができない状態になっています。
設立と初期の経緯
ウィキリークスは2006年に設立され、設立者として最も広く知られる人物はジュリアン・アサンジ(Julian Assange)です。設立後まもなく、サイトは多数の内部文書や機密資料を受け取り、1年程度で120万件以上の文書がデータベースに登録されていたと報じられました。情報の受け渡しには匿名性や暗号化を重視し、安全な投稿ルート(暗号化された通信や分散型の受け取りシステム)を設けています。
主要なリークと時系列
- Collateral Murder(2010年) — 2007年にイラクで起きた米軍のヘリコプターによる民間人攻撃を記録した映像(「Collateral Murder」)を2010年に公開し、国際的な議論を呼びました。
- アフガニスタン戦争日誌(Afghan War Logs、2010年7月) — ウィキリークスは、アフガニスタン戦争に関連した76,900以上の文書を公開しました。軍事作戦や民間人被害に関する詳細が含まれています。
- イラク戦争日誌(Iraq War Logs、2010年10月) — 約40万件の文書を掲載し、米軍に関する文書のリークとしては史上最大規模の一つとされます。民間人や兵士の死亡、自作爆弾(IED)や武装した民間人の目撃情報などが報告されました。
- 外交機密ケーブル(Cablegate、2010年11月以降) — 1966年から2010年までの274の大使館からの外交機密ケーブル251,287本のうち、最初の291本を、ウィキリークスとスペイン(エル・パイス)、フランス(ル・モンド)、ドイツ(デア・シュピーゲル)、英国(ガーディアン)、米国(ニューヨーク・タイムズ)の主要紙が共同で公開しました。ウィキリークスは、数ヶ月かけて段階的にすべてのケーブルを公開する計画を発表しました。
- ガンタンモファイル(Guantánamo files、2011年) — グアンタナモ収容者に関する内部文書を公開し、拘禁や審理の実態を明らかにしました。
- ストラトフォア(Stratfor)やその他の企業メール(2011–2012年) — 民間諜報会社や企業の内部メールが流出・公開され、企業と政府の関係や監視活動が注目されました。
- DNCメール(2016年) — ウィキリークスは、民主党全国委員会(DNC)がバーニー・サンダースを不利に扱ったとされる電子メール約2万通以上を掲載し、米国の大統領選挙に大きな影響を与えました(これらの公開をめぐっては情報源や背後にいる勢力を巡る論争も起きました)。
国際的影響と報道の反響
2010年のケーブル公開は、米国以外の国家や外交関係にも広範な影響を与え、国際的なメディアでも大きく取り上げられました。リークの中には、各国の政治家や外交官の発言、機密評価、対外政策の内部分析が含まれており、多くの国で外交上の摩擦や見直しが生じました。一部のリークは、フェアファックス・メディアなどの他の報道機関と共同で発表されました。
ホワイトハウスの当時の報道官は、「開かれた透明性のある政府は重要だ」としつつも、同時に「機密情報の盗用とその拡散は犯罪だ」と述べ、国家安全保障や情報保護の観点から強く批判しました。多くのメディアや報道機関は、公開による公共の利益と、個人や協力者の安全を危険にさらす可能性の双方を検討しつつ報道しました。
運営・資金・技術面
ウィキリークスは当初から寄付や暗号通貨などを通じた資金調達を行い、独立性を強調してきました。情報の受領や管理には匿名性・暗号化を重視し、情報提供者が身元を特定されないようにするための技術的措置を取っています。一方で、公開文書の量や形式、未編集の資料の扱い(人名の無加工公開など)については、倫理的・法的な議論が絶えません。
法的問題と論争
- 内部告発者や情報提供者の保護:ウィキリークスは情報提供者の匿名性を重視しますが、過去には一部の公開で協力者や一般人の身元が特定されるリスクを招いたとして批判がありました。
- 刑事・民事の追及:特にジュリアン・アサンジに関しては、強制捜査、刑事告発、引渡し請求など複数の法的争いが発生しました。アサンジは2012年から2019年までエクアドル大使館に亡命していましたが、2019年に亡命が取り消され、ロンドン警察により逮捕されました。以降、アメリカ合衆国はスパイ法(Espionage Act)などを根拠に彼の引渡しを求める告訴を行い、長年にわたる引渡し手続きや裁判が続いています(法的プロセスや判決は各国の裁判所の判断や控訴によって変化しているため、最新状況は適宜確認が必要です)。
- 報道の自由と国家安全保障の衝突:ウィキリークスの活動は、報道機関やジャーナリズムの権利、国家安全保障の必要性、個人のプライバシー保護という価値観の間で鋭い対立を生じさせました。支持者は「政府の不正を明らかにする公共善」と位置づけ、批判者は「機密の無差別公開が安全を脅かす」と主張します。
- 情報操作と外部勢力の関与:特に2016年の米国選挙に絡むDNCメール公開を巡っては、背後に他国の介入や情報操作があったのではないか、ウィキリークスが特定勢力に利用されたのではないかという疑惑が国内外で議論されました。これに関する調査や評価は複雑で結論が一様ではありません。
評価と現在の課題
ウィキリークスは情報公開によって不正や戦争の実態を可視化し、透明性向上に寄与した一方で、無差別な情報公開が個人や協力者に危険を及ぼす可能性が指摘され続けています。メディア、法律家、人権団体、政府はそれぞれ異なる立場からウィキリークスの活動を評価しており、公開手法、編集責任、情報源保護、国家安全保障とのバランスなどが現在も主要な論点です。
参考となる視点
- ウィキリークスの公開は「告発」でもあり「報道行為」でもあるため、新聞社やジャーナリストとどのように協働するかが重要になります。2010年のケーブル公開は複数の大手紙との協力で行われました。
- テクノロジーの進化(暗号技術、匿名通信、ブロックチェーン等)は、今後の内部告発と情報公開の方法を左右します。同時に、デジタル時代の法制度や倫理基準の整備も求められています。
- ウィキリークスの活動は、国家・企業の説明責任を強化する一方で、情報の取り扱い方次第で個人の安全や国際関係に深刻な影響を与え得ることを示しました。
以上はウィキリークスに関する概観です。組織の活動、法的手続き、公開された資料の分析は継続しており、新たな事実や判決が出る可能性があるため、最新情報は信頼できる報道や公的な発表で確認してください。

ウィキリークスのロゴ。ある地球(上)から水が漏れ、別の地球(下)に落下している様子が描かれています。
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質問と回答
Q:ウィキリークスとは何ですか?
A:ウィキリークスは、これまで秘密にされていた政府、個人情報、企業や宗教の文書をウェブサイトを使って公開している非営利団体です。
Q: ウィキリークスはいつ設立されたのですか?
A: ウィキリークスは2006年にスタートしました。
Q: 1年間の運営で、データベースにはどれくらいの文書があったのか?
A: 1年間の運用後、データベースには120万以上の文書がありました。
Q: ウィキリークスは、文書を投稿した人の名前や住所を公開しているのか?
A: いいえ、通常、文書を投稿した人の名前と住所は教えていません。
Q: ウィキリークスはどこに拠点を置いているのですか?
A: ウィキリークスはスウェーデンに拠点を置いています。
Q: ウィキリークスはウィキペディアやウィキメディア財団と関係があるのでしょうか?
A: いいえ、名前はウィキペディアと似ていますが、ウィキペディアやウィキメディア財団とは関係ありません。
Q: ウィキリークスはもともと、人々がサイトを編集できるウィキモデルだったのですか?
A はい、当初は人々がサイトを編集できるウィキモデルを使用していましたが、その後変更され、現在は編集を受け付けていません。
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