ウィンズケール火災(1957年)—セラフィールド原子炉事故の原因と影響
ウィンズケール火災(1957年)—セラフィールド原子炉事故の原因、隠蔽された被害、健康・環境への長期影響と教訓を詳述。
ウィンズケール火災は、1957年にウィンズケール(現在のセラフィールド)にある英国初の原子炉で発生した大火災である。この火災は、放射性降下物を数百マイルにわたって拡散させた。最も危険な汚染の一部は秘密にされ、その影響が明らかになったのは数年後のことだった。原子炉の裏側には、火災で破損した炉心に、破裂したウラン入り燃料カートリッジが、安全な取り外しを待って、まだ詰まっている。公式には、この汚染で最大100人が死亡したと推定されている。汚染除去の費用は1億ポンドを超えた。ウィンズケールの火災は、どの原子力施設でも初めての火災だった。
事故の原因
ウィンズケール原子炉(Windscale Piles)は、当時プルトニウム生産を目的としたグラファイト減速・空冷型の原子炉であった。事故の直接的な原因は、炉心のグラファイトに蓄積された内部応力が解放される「ウィグナー効果(Wigner energy)」を抑えるために行われた定期的な「アニーリング(加熱して蓄積エネルギーを戻す)」操作中に局所的な過熱が起き、燃料棒や被覆材が発火したことだと広く説明されている。運転上の手順や設計上の弱点、事故発生時の判断・情報共有の不足が重なり、火災の拡大を招いた。
火災の経過と対処
事故は1957年10月に発生し、炉心内部の高温状態が持続して燃焼が続いた。初期には炉心内の状況が正確に把握されず、通常の消火手順では対応が困難だった。最終的には炉心に水を注入して消火するという決断がなされ、これにより火勢は収まったが、その作業は極めて危険であり、当時の作業員や消防関係者に大きな負荷がかかった。
放射性降下物と健康影響
火災により放出された放射性物質の中で、特に問題になったのはヨウ素-131(I-131)である。ヨウ素-131は半減期が短く、甲状腺に取り込まれやすいため、汚染された牛乳や農産物を通じて住民の被曝リスクを高めた。その他、セシウムやストロンチウムなども放出され、広い範囲で微量の降下物が検出された。
- 主な放出核種:ヨウ素-131を中心に、セシウムやストロンチウムなど。
- 健康影響:初期の評価では直接的な大量死は確認されなかったものの、長期的な癌リスクの増加(特に甲状腺がん)については議論が続いている。公式推計では最大で約100人の早期死亡につながった可能性があるとされたが、後の研究は推定に幅があることを示している。
- 食品規制:一部地域では牛乳の流通制限などの緊急対策がとられた。
政府の対応と情報公開
当時の政府と原子力当局は、軍事的・国家安全保障上の配慮や国民の動揺を避ける目的から、事故の詳細や影響を一部秘匿した。これにより被災地住民や国際社会への情報伝達が遅れたとの批判が後に生じた。事故後に得られた教訓は、原子力事故時の情報公開と住民保護の重要性を広く示すことになった。
除染・復旧と長期的影響
火災後の除染・復旧作業は長期間にわたって行われ、消火・損傷した燃料の取り出し、汚染土壌の管理、放射性廃棄物の処理などに巨額の費用がかかったとされる。実際に施設名はイメージ刷新のために後に「ウィンズケール」からセラフィールドへと呼称が変えられ、運用方針や安全基準の見直しが進められた。
教訓と影響
ウィンズケール火災は、原子力産業にとって重大な転機となった。具体的には:
- 炉設計や運転手順(特にグラファイト炉におけるウィグナー効果の管理)の見直し。
- 事故時の情報公開、住民避難計画、食物供給の監視体制の強化。
- 原子力安全文化の重要性が強調され、規制当局の権限と独立性の強化が進められた。
今日ではウィンズケール火災は、初期原子力開発期における教訓として、原子力安全や危機管理の教育・研究において重要な事例とされている。

ウィンズケール火災で燃えた原子炉の模式図
百科事典を検索する