WulfhereまたはWulfar(† 675)は、初期のメルキア王。父は異教徒であったが、ヴォルフェアはキリスト教徒であった。兄PeadaノーザンブリアのOswiuもとでテムズ川以南のメルシアを支配していた。Peadaが殺害されるとOswiuがメルシアを支配し、メルシアのエアルドマンが反乱を起こしてWulfhereを王位に就かせた。ウォルフェアーは658年から亡くなるまでメルシアを支配した。彼はメルキア人として初めてイングランドを支配した王である。

生い立ちと即位

Wulfhereは、反抗的で有力な王族ピンダ(Penda)の子として生まれたとされる。父ピンダは異教を信じる戦士王で知られていたが、Wulfhere自身はキリスト教に改宗していた。655年のピンダの戦死後、ノーサンブリア王Oswiu(オズウィー)によってメルシアは一時的に支配され、Peadaらがオズウィーの下で統治する状況が生じた。Peadaの暗殺の後、地元の有力者(エアルドマン)たちが蜂起してWulfhereを658年に王に擁立し、これが彼の本格的な治世の始まりとなった。

治世と拡大

Wulfhereの治世はメルキアの復興と周辺地域への影響力拡大が特徴である。彼はメルキアの独立を回復するとともに、南部や東部の周辺王国に対して覇権を及ぼし、時には服属・同盟を通じて影響圏を広げた。史料(たとえばベーダの『教会史』)は、Wulfhereを南英一帯に強い影響を持った王として描いており、現地勢力との結びつきや政治的介入を通じてメルキアの勢力を拡大したことを伝えている。

教会との関係と文化的貢献

Wulfhereはキリスト教を支持し、教会や修道院への寄進を行ったことで知られる。彼は教会の布教活動を支援し、メルキア内外の改宗や教会組織の整備に協力した。たとえば修道院の建立や、教会に対する土地寄進などを行ったと伝えられており、これが地域の宗教的・文化的発展を後押しした。

家族と継承

王妃については諸説あるが、一般に王妃はケントなど南方の有力家系出身の王女とされることが多い。Wulfhereの子孫には後に王位についた者や修道女・聖人とされる人物が含まれるとされ、王家はその後もメルキア政治に大きな影響を与え続けた。Wulfhere没後、弟のÆthelred(エセルレッド)が王位を継承している。

評価と歴史的意義

Wulfhereは、ピンダ以来のメルキア権力を復活させ、南英の覇権争いの中で重要な役割を果たした王として評価される。彼の治世はメルキアがイングランド南部において強い影響力を持つ契機となり、その宗教支援策は地域のキリスト教化を促進した。史料には限りがあるものの、ベーダらの記述により当時の政治・宗教の変動を理解する上で重要な人物とされている。