ウィクリフ訳聖書とは:1382–1395年の中英語翻訳とロラード運動の影響
ウィクリフ訳聖書とは何かを解説—1382–1395年の中英語翻訳とロラード運動が英語聖書普及と宗教改革に与えた影響を詳述。
ジョン・ウィクリフの名にちなんで「ウィクリフ訳聖書」と呼ばれるのは、彼の指導のもとで制作された、一連の英語訳聖書(主に中程度の英語=ミドル・イングリッシュに翻訳されたもの)です。これらの版はおおむね1382年から1395年頃にかけて成立し、公的な承認は受けていませんでしたが広く読まれ、当時の英語写本の中で最も数の多い文学群の一つとなりました。現在、ウィクリフ訳聖書の写本は250点以上が現存するとされています(写本の研究は版や地域差を詳しく示しています)。
翻訳の出自と特徴
ウィクリフ訳はラテン語のバルゲート(Vulgate)を底本としており、ヘブライ語やギリシャ語の原典を直接用いた訳ではありませんでした。そのためラテン語の語順や語彙に非常に忠実な訳が多く、直訳的で堅い表現になりやすいという特徴があります。一方で、後に複数回の手入れを受け、より口語的な語法に近づけられた「初期型(Early)」と「後期型(Late)」のような系統が見られます。スペルや語形は写本ごとに大きく異なり、標準化されていないのもミドル・イングリッシュ期の特徴です。
ロラード運動との関係
ウィクリフの翻訳は、教会の権威や教義(たとえば聖職者の富や聖餐論など)に批判的だった宗教改革前の運動、すなわちロラード運動にとって重要な思想的支柱となりました。ロラードは「聖書中心」の信仰を重視し、英語による聖書の普及を通じて信仰や教えを広めようとしたため、ウィクリフ訳の写本は運動の広がりを助けました。
写本の流布と検閲・弾圧
ウィクリフ訳の写本は広く流通し、僧侶や一般信徒にも読まれていましたが、教会や王権はこれを警戒しました。15世紀前半、ヘンリー4世の時代には1401年の法令(De heretico comburendo など)を含む厳しい対異端措置がとられ、また大司教トマス・アランデルによる翻訳や講説の監督強化など、聖書の翻訳と流布に対する検閲が制度化されました。こうした弾圧政策の結果、ウィクリフ訳写本の取り扱いは危険を伴うことも増えましたが、禁止令の前に写本が制作・流通していれば依然として広く利用され続けました。
写本の実例(訳文の差異)
同じ箇所でもラテン語原文とウィクリフ訳(初期・後期)では語順や表現に差が出ます。たとえば創世記1:3(光の創造)の比較は次のようになります。
- ラテン語(Vulgate):Dixitque Deus: Fiat lux. Et facta est lux.
- ウィクリフ訳(初期・直訳に近い系統、写本差あり):And God seide, Be maad light; and light was maad.(ミドル・イングリッシュは写本ごとに綴りが異なります)
- ウィクリフ訳(後期・口語的に修正された版):And God seide, Let there be light; and there was light.(近代英語に近づけられた表現)
- ドゥエ=ランス(1609年、カトリック系英訳の例):And God said: Let there be light. And there was light.
(上は代表的な形を示したもので、実際の写本では綴り・語形に多くのバリエーションがあります。)
弾圧後の評価と後世への影響
ウィクリフ自身は1384年に死去しましたが、その思想は後世に大きな影響を与えました。彼の教説は1415年のコンスタンツ公会議などで問題視され、後に遺骸が異端と認定されて掘り返され焼却されたという記録もあります(異端弾圧の文脈での出来事)。
さらに、ウィクリフ訳は直接・間接に後代の英語聖書翻訳者に影響を与えました。たとえばウィリアム・ティンデールはギリシャ語写本を参照して近代英語に聖書を翻訳し、初めてそれが広く普及する契機を作りました。ティンデールはその活動ゆえに弾圧を受け、逮捕されて最終的に処刑されました。ティンデールの逮捕・処刑に関しては、当時の法的・政治的背景(異端裁判や国際的な追及)も関与しており、トーマス・モアなど当時の政治指導者が彼の取締りに関与したことが史料に示されています。ティンデールは1535年頃に身柄を拘束され、1536年にブリュッセル近郊(しばしばヴィルフォールデと記される場所)で処刑されたと伝えられます(ブリュッセル地域についてはブリュッセルに関する資料を参照してください)。
総括
ウィクリフ訳聖書は、英語における最初期の大規模な聖書翻訳群の一つとして、言語史・宗教史の両面で重要です。ラテン語バルゲートに基づく直訳的な性格、写本の豊富さ、ロラード運動への影響、そしてその結果としての教会・王権による検閲と弾圧──いずれも中世末期から近世への移行を理解するうえで欠かせない要素です。現存写本の比較研究は、翻訳の変遷、地域差、教派的影響を明らかにし続けています。

ウィクリフ訳の14世紀のコピーからのヨハネ福音書の始まり
関連ページ
- ジョン・ワイクリフ
- ティンデールバイブル
質問と回答
Q:ウィクリフ聖書とは何ですか?
A:ウィクリフ聖書とは、1382年頃から1395年頃まで、ジョン・ウィクリフの指導のもとに作られた中英語への翻訳作品群です。
Q:作品の人気はどうだったのでしょうか?
A:無許可の作品であったにもかかわらず、人気があった。
Q:ウィクリフ聖書の写本はどのくらい残っているのですか?
A: ウィクリファイト聖書は250以上の写本が残っています。
Q: これらの翻訳はどのような運動を引き起こしたのでしょうか?
A: これらの聖書は、ローマ・カトリック教会の多くの教えを否定するロラード運動に影響を与え、それを引き起こしました。
Q: この運動に対して、ヘンリー4世、トーマス・アランデル大司教、ヘンリー・ナイトンはどのような行動をとったか?
A: この運動に対して、彼らは当時のヨーロッパで最も厳しい宗教検閲法を制定した。
Q: ウィクリフの翻訳はラテン語の語順にどれだけ忠実だったのでしょうか?
A: 彼の翻訳はラテン語の語順に非常に忠実で、英語の語順とは異なっている。
Q: ウィクリフの聖書を後世に引き継いだのは誰ですか?
A:ウィリアム・ティンデールは、ウィクリフの聖書をより現代的な英語に翻訳し、ギリシャ語の写本資料を初めて使用したのです。
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