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五皇帝の年(193年)

西暦193年、コンモドゥス暗殺後のローマ帝位を5人の対立する僭称者が争った。内戦の末、セプティミウス・セウェルスが勝利し、帝権と軍の役割を再編した。

五皇帝の年とは、西暦193、前の支配者が暗殺された後に複数の人物が皇帝の紫衣を主張した、ローマ帝国における深刻な政治的混乱の時期を指す。この出来事は、皇帝継承に対する軍とプラエトリアニ(近衛軍)の決定的な影響力を露呈させ、新たな支配王家の成立への道を開いた。

僭称者たち

  • ペルティナクス — 前任者の殺害後、ローマで皇帝に推戴された元老院の重鎮かつ将軍。その権力の維持は短期間に終わった。
  • ディディウス・ユリアヌス — ローマの近衛軍が行った悪名高い競売で皇帝位を買い取った。
  • ペスケンニウス・ニゲル — シリア総督であり、東方の軍団から皇帝として推戴された。
  • クロディウス・アルビヌス — ブリタンニア、のちにガリアの総督となった、有力な西方の競争者。
  • ルキウス・セプティミウス・セウェルス — ドナウ川流域の軍団の指揮官で、ローマへ進軍し、最終的に覇権を確立した。

事態は急速に展開した。ローマにおける短く不安定な統治の後、現地の兵士たちはペルティナクスを殺害した。続いて近衛軍は、最高額の入札者に帝位を提示し、ディディウス・ユリアヌスの物議を醸す即位へとつながった。属州と軍団はそれぞれ独自の指導者を皇帝に推戴して反応し、争いは複数の戦線に及ぶ内戦となった。

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抗争と決着

セウェルスは北方から迅速に進軍してローマに入城し、ユリアヌスを処刑した。次いで東方の僭称者ペスケンニウス・ニゲルに対する軍事行動を指揮し、その後には西方でクロディウス・アルビヌスと対峙した。その後数年にわたる一連の戦闘と機動を通じて、セウェルスは競争者を打ち破り、権力を統合した。これにより、歴史家がセウェルス朝と呼ぶ王朝が創始された。

意義と後世への影響

193年の危機は、皇帝を立て、また失脚させる軍の決定的役割を強調し、皇帝たちが軍事的支持と属州の権力基盤により強く依存することを促した。また、セウェルス朝の皇帝のもとで、より強力な専制的統治へ移行する転機となり、帝国行政、兵士の給与、属州統治に長期的な影響を与えた。この呼称は、これに先行する「四皇帝の年」(西暦69年)を踏まえたものであり、元首政期のローマにおいて皇帝継承が繰り返し抱えた脆弱性を示している。

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